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星野仙一、落合博満、アライバ。
荒木雅博と中日と2000安打の軌跡。
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byTakuya Sugiyama
posted2018/03/04 17:00
自信家が多いプロ野球界において、荒木のような存在は異質かつ、人々の心を打つ。
偉業後も野球小僧のままで。
今年1月、生まれ故郷の熊本・菊陽町でバットを振る荒木の姿があった。2000本安打達成をかけたシーズンの初打ち。農業用トラックが走る道のすぐ脇、畑に囲まれた空き地にネットを張っただけの場所でプロ野球選手が汗を流しているなんて、誰も思わなかっただろう。
「ちょっと試してみたい打ち方が見つかったからさ! バットも変えたんだ」
そう笑う。もう何度目だろう。またもバットとスイングはその形を変えていた。傍らに2人の男。トスを上げるのが佐崎、口を挟みながら見守るのが吉本だ。熊工の照明の下にいた野球小僧は、あの頃のままだ。
3月末。自身22度目の開幕。東京ドームのベンチで開始を待つ膝は震えていた。
「何年経っても緊張する。この性格、自分でも貴重だなと思うよ……」
そこから打率1割台とどん底のスタート。見かねた知人が電話をくれた。
「ちょっと話したいことがあるんだけど。電話ではちょっと……」
そう言われれば、すぐに足を向ける。知人の自宅で打席の映像を見ながら、プロの打席に一度も立ったことがない素人の話に耳を傾けた。そうするうちベルトのバックルがいつもと違う方を向いていると気づいた。いつも、こうして道は開かれる。
「守備と走塁は少しカチンとくるかな」
素人がプロ野球選手に意見するのは緊張したし、気が引けた。知人がそう告白すると、荒木はこう笑ったという。
「バッティングのことは何を言われてもいいんですよ。まあ、守備と走塁は言われたら少しカチンとくるかな……」
フェンスの向こう側へ飛ばした数はわずかに33本。名球会の門をくぐった中で断トツの最少だ。打の真髄へと飛んでいける羽を持っていたわけではない。決して止まらない足で一歩、一歩、辿り着いた。
「高校時代にすごいと言われながらプロで力を出せない選手を見てきた。俺より才能のある奴が何人も辞めていった。みんな『すごい』と言われた過去に囚われて、そこに戻ろうとする。俺はすごいなんて言われたことがないから、囚われるものがない。それが良かった。だから誰の話だって真っさらな状態で聞けた。これだっていう一打席? そんなのいまだにないよ……」
不惑の偉業到達者。未だ確信に至らず。今日も恐れと迷いの道をゆく。
(Number939号『荒木雅博「恐れと迷いの果てに」』より)