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則本昂大と“ヨシさん”と開幕投手。
5年前の日本一を思い出す短い会話。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byGenki Taguchi
posted2018/02/17 09:00
久米島キャンプのブルペンで投げ込む則本。エースとしての風格は十分だ。
「ファンは田中、田中だったけど」
「あの年はWBCがあって、田中(将大)も疲労があるし厳しいということで、則本を開幕投手にした。シーズンでも田中が精神的に大変な時期に頑張ってくれたし、日本シリーズでもよく投げてくれた。ファンは田中、田中だったけど、則本もそのくらいの働きをしてくれていたからね」
この佐藤コーチの想いに、則本も意気に感じながら応える。
「チームの投手陣のトップはヨシさん。そのヨシさんから伝えられたという意味も含めて、チームの軸となってしっかり投げたいです」
'13年と今年の開幕投手の関連性について多くを語らなかったが、あの年が則本の原点であることは間違いない。
則本いわく、'13年は「1年間、投げる大変さを覚えるだけのシーズンだった」と言う。
この年の開幕戦は7回途中4失点で敗戦投手。その後も勝ち負けを繰り返しながらも、ルーキーとしては「まずまず」と評価される投球を続けていた。
打たれたら二軍の試合で汚名返上。
その則本の転機を挙げるとするならば、7月6日のソフトバンク戦だろう。前日の試合で先発し、1回4失点でKOされながらも翌日、すぐさまチャンスを与えられた。3-4の3回、2死一、三塁のピンチでマウンドに上がり後続を断ち切ると、6回まで無失点。チームの流れを引き寄せ、自らも勝利投手となって汚名を返上してみせたのである。
今でもその話題を振ると、則本は「あの試合は大きかったですね」と大きく頷く。
「普通だったらね、1回KOを食らったらファームに落とされてもおかしくないですし。次の日も中継ぎで待機していましたけど、そこで打たれたらいよいよ本当に二軍だったと思うんで。あそこで自分の底力を出し切れたのは大きかった。チャンスをもらってつかみ取って、その後も離さなかったからこそ、今こうやって投げ切れているんじゃないかなって思っていますね」
この年、則本は15勝を挙げた。日本シリーズでも先発、中継ぎとフル回転し、ルーキーながら楽天初の日本一を支えた。