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4度目五輪、集大成で競技種目転向!
スノーボード藤森由香は動揺しない。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byKaoru Watanabe/JMPA
posted2018/02/15 08:00
2006年トリノ大会から五輪に出続けてきた藤森。その経歴は日本スノーボード女子の“レジェンド”だ。
バンクーバー、ソチでの不運。
藤森にとって、平昌は4度目のオリンピックであり、そして“初めて”のオリンピックでもある。
最初に出場したのは2006年のトリノ五輪。以降、バンクーバー、ソチの3大会はスノーボードクロスでの代表だった。
トリノでは7位入賞を果たしたが、先行する選手の転倒による入賞に、「納得は行きません」と悔しい表情を見せた。
リベンジをかけて挑んだバンクーバーは、大会の公式練習時に突風に見舞われ転倒、頭部を負傷する。藤森は試合当日まで出場を強く望んだが、再度、頭部を打撲すれば脳に障害が残る可能性があることを告げられ、棄権を余儀なくされた。さらにソチは、他の選手と板が接触したことから転倒、1回戦で五輪を終えることになった。
ソチ五輪後、藤森はスロープスタイルへの転向を決意する。今大会はスロープスタイル、そして新種目のビッグエアの代表選手として迎えた“初めて”の五輪だった。
「本当にスノーボードが好きなので」
転向当初は28歳という年齢を危惧する声があったが、藤森は動じなかった。転向した理由は、同年代の海外選手がソチ五輪にスノーボードクロス、ハーフパイプに加えスロープスタイルの3種目で出ていることに刺激を受けたこと、そして、もともと関心があったことだった。
スノーボードショップを経営する実家で育ち、幼少からスノーボードクロスに限らず、スノーボードの世界に深く馴染み、親近感があったからこその転向だったのだろう。
藤森は10代の頃から、すでにこう語っていた。
「世界で勝てる選手になりたいと思っていますし、負けるととても悔しいから、もっと上達したいと思います。ただ、私は、スノーボード自体が好きなんです。自然の中で、こうして楽しめる魅力というのは、もっとみんなに知ってほしいし、そのためにも活躍したいという気持ちがあります。私自身、本当にスノーボードが好きなので、スノーボードクロスという競技だけというわけではなく、スノーボードを続けていきたいです」