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大谷翔平は野茂英雄に次ぐ開拓者だ。
二刀流がメジャーでも魅力的な理由。
posted2018/01/11 11:30
text by
笹田幸嗣Koji Sasada
photograph by
AFLO
2017年12月9日。エンゼルス入団が決まった大谷翔平はエンゼルスタジアムに集まったファンを前に二刀流挑戦への意気込みを語った。
「僕自身はファンの方々と球団の方々と作っていくものだと思うので、まだまだ完成された選手ではないですし、そういう意味では皆さんの応援で成長させて欲しい。僕もそれに応えて頑張っていきたいなと思います」
新たなるチャレンジ。23歳の所信表明をファンとともに聞き、22年前のあの日のことを思い起こした。
1995年2月13日。場所はロサンゼルスのリトル東京にある日系ホテル。ドジャース入団が決まった野茂英雄がその決意を口にした時のことだった。
「みんなに憧れられる選手になりたい。でも、自分はこれから続く日本人選手のために失敗はできない」
'64年に南海ホークスから野球留学でメジャーに昇格した村上雅則の例はあったものの、日本人選手がNPBを去り、メジャーリーガーを目指すことなど当時はまだ口にできない時代だった。
“すぐに逃げ帰ってくる”と叩かれた野茂の成功。
前例のない挑戦に野茂は日本球界から問題児扱いされ、「ルール違反」と一部メディアからも散々に叩かれた。
“メジャーで通用する訳が無い”
“肩はもう壊れている”
“すぐに逃げ帰ってくる”
だが、当時26歳の野茂英雄は己を信じ、道なき道をひとり切り開いた。その結果がメジャー実動12年、通算123勝。彼の挑戦から22年が経った今でも、日本人投手でこの実績を上回った者はいない。かくして、野茂は開拓者となり、先駆者として尊敬の念を抱かれるようになった。