オリンピックへの道BACK NUMBER
その頭脳は平昌、そして北京を標的に。
宮原知子がこの1年間で築いた“芯”。
text by

松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAsami Enomoto
posted2017/12/25 11:50
初めてスケートを滑ったのはアメリカで暮らしていた4歳の時だという宮原。初めてのオリンピックでどこまで結果を出せるか?
「5年後にはもっと良いスケーターになると思います」
「楽しみでワクワクしています」
代表内定のあと、平昌への思いを表した宮原は、こうも語った。
「まだまだ足りないところがあります。平昌オリンピックのあとも、たくさんやることがあります。次の(北京)オリンピックでは、より成長した姿を見せられると思うので、5年後はもっと良いスケーターになると思います」
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大仕事を成し遂げた直後なのにもかかわらず、表彰台に立っていたときと同様、より遠くへと射程を定め、より成長した自らの将来を思い描いていた。
その言葉は、宮原知子という類まれなスケーターを象徴しているようでもあった。
