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「東洋の神秘」グレート・カブキ引退。
ペイントと赤と緑の毒霧が綴る伝説。
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2017/12/21 10:30
額の傷から鮮血が噴き出る……カブキとムタの戦いは、忘れられない死闘となった。
日米両国で大人気レスラーだったカブキ。
ペイントしたレスラーはカブキが初めてではない。
だが、全米で名を馳せたことで、「ペイントしたレスラー」として真っ先に名前があげられるのは、カブキということになった。日米両国において、これは誰も否定できないだろう。
「カブキ」という、海外ではよく知られた分かりやすい日本的なネーミングも功を奏した。思い出してみて欲しい、「カブキ」という日本料理店が海外に何軒あることか……カブキは「フジヤマ」や「ゲイシャ」とともに日本を象徴する言葉だったのだ。
その成分と調合方法は企業秘密の「毒霧」。
ジャイアント馬場もアメリカでのカブキの人気を放っておかなかった。
逆輸入の形で、カブキは1983年2月、全日本プロレスの後楽園ホールのリングに帰ってきた。
顔面を覆う鎖帷子、黒い道着、地下足袋、伸びた長い髪、隈取のペインティング、時には獅子。そしてヌンチャクのパフォーマンス。
そして、手をかざして吹き上げる赤い毒霧。緑色の毒霧もきれいに吹き分けた。
かちあげるアッパー・カットとトラース・キック以外、目立った技は極力使わなくなった。絞めて投げるだけだ。
それでも毒霧という切り札が最後に残っていた。
この毒霧は研究に研究を重ねたものだ。その成分と調合具合は未だに企業秘密ということで、すべてを明かしたことはない(だが、そのベースが水でないことだけは確かだ)。