酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
イチローの成績に肉薄した日本時代。
松井稼頭央の数字が異次元に凄い!
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byAFLO
posted2017/12/20 11:30
メッツの入団発表後にはニューヨークのタイムズスクエアで記念撮影に収まった松井。その注目度は全米でも高かった。
MLBデビュー戦、初打席初球本塁打の大快挙。
2004年、オープン戦では.192と振るわなかったが、4月6日のアトランタ・ブレーブスとの開幕戦、松井稼はド派手なことをやってのける。
1番遊撃で先発すると、ブレーブスの開幕投手、ラス・オルティスの初球を叩き本塁打。新人の初打席初球本塁打はMLB史上14人目だった。
地元ニューヨークの新聞は松井稼の名前をもじって「Fankazic!」という見出しを掲げた。イチローも「すごいね、プレッシャーに強い。体が70%動けばいい開幕戦で結果を出すとは!」と驚きのメッセージを残した。
この日は他に二塁打2本、四球2つの3打数3安打。
アメリカのファンは「日本には、イチローみたいな凄い選手がいっぱいいるんだ」と思ったことだろう。
守備で苦しみ、成績はなかなか伸びなかった。
しかし以後、松井稼の成績は低迷する。
この年、イチローはジョージ・シスラーのMLB最多安打記録257本を抜く、262安打を記録。特に夏以降は神がかった打撃を見せた。それとは対照的に松井稼頭央は8月には持病の腰痛が出て戦線離脱。打率.272、125安打に終わった。打率の順位はナ・リーグ54位。そしてこの安打数が、松井稼のMLBでのキャリアハイになるのだ。
メッツとの契約が満了になって以降は、コロラド・ロッキーズ、ヒューストン・アストロズとチームを渡り歩く。
ロッキーズではワールドシリーズ進出に貢献するなど、いい働きもしたが、2年目以降、規定打席に達したのは'09年の1度だけだった。
最大のネックは守備だった。1年目、遊撃手として110試合で23失策をして、2年目には二塁にコンバートされる。二塁手としては2007年に最高守備率.992を記録するなど、優秀だったが、それでも信頼は得られなかった。
また持病の腰痛にも悩まされた。MLBでは内野手は相手走者の厳しいスライディングにも苦しめられる。松井稼はいつも満身創痍だったのだ。