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イチローの成績に肉薄した日本時代。
松井稼頭央の数字が異次元に凄い! 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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photograph byAFLO

posted2017/12/20 11:30

イチローの成績に肉薄した日本時代。松井稼頭央の数字が異次元に凄い!<Number Web> photograph by AFLO

メッツの入団発表後にはニューヨークのタイムズスクエアで記念撮影に収まった松井。その注目度は全米でも高かった。

清原、辻、伊東、工藤らがいた森・西武に入団。

 当時の西武は森祗晶監督の下、精鋭が揃っていた。

 4番一塁はPLの先輩、清原和博。二塁は現西武監督の辻発彦、捕手は前ロッテ監督の伊東勤、そして遊撃は前西武監督の田辺徳雄、投手は現ソフトバンク監督の工藤公康、元西武監督で、現シニアディレクターの渡辺久信、オリエント・エクスプレスこと郭泰源や、現巨人GMの鹿取義隆もいた。なんという人材の宝庫だろう。

 高卒1年目の松井稼頭央は、こんな錚々たる大先輩の下でプロ生活をスタート。1年目は二軍暮らしだった。

 90試合 319打数 83安打 4本塁打 24打点 11盗塁、打率.260(15位)

 19歳にしてはよくやったと言える成績だ。なおこの年、2歳上のイチローが、一軍で210安打を打つ衝撃のシーズンを送っている。そして松井は右打者からスイッチヒッターに転向している。

 翌年に一軍に昇格した松井は、1996年に遊撃のレギュラーを奪取。打撃成績でイチローを急追するのだ。

2年連続でイチローの安打数に肉薄すると……。

 安打数の推移を見てみよう。

1996年:イチロー193安打(1位) 松井稼134安打(7位)59本差
1997年:イチロー185安打(1位) 松井稼178安打(2位)7本差
1998年:イチロー181安打(1位) 松井稼179安打(2位)2本差

 イチローはNPB時代から「安打を打つ」ことに命を懸けてきた選手だ。だからこそ彼に肉薄する松井は大いに脅威だったはずだ。なお、'96年までイチローは3年連続でMVPを受賞していたが、'97年は西武の西口文也がMVPに、そして'98年は松井稼頭央がMVPに選出されている。そのことも松井の台頭を印象づけた。

 そして1999年も2人の安打製造機の争いが注目されたが、8月24日、イチローは日本ハム下柳剛から右手に死球を受け交代。この時点で断トツの141安打を打っていたが、以後、戦線離脱。そして松井が初めてイチローを抜く。

1999年:松井稼178安打(1位) イチロー141安打(7位)

 松井稼頭央は、ブレーク後のイチローをシーズン安打数で初めて破った選手になった。打率も.343(1位)のイチローに対し.330(2位)と迫った。

【次ページ】 イチローでもできなかった30本塁打を2回達成。

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