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全てはクロフネの衝撃から始まった。
チャンピオンズCと交流GIの深い関係。

posted2017/12/02 08:00

 
全てはクロフネの衝撃から始まった。チャンピオンズCと交流GIの深い関係。<Number Web> photograph by Getty Images

ダートで走ったのは2戦だけだったが、砂の鬼として圧倒的なインパクトを残したクロフネ。現在は種牡馬生活を送る。

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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 今週は、ジャパンカップダートを前身とする第18回チャンピオンズカップ(12月3日、中京ダート1800m、3歳以上GI)が行われる。

 16頭の出走馬のなかに外国馬はいない。その代わり、前走が「地方競馬の祭典」JBCクラシックだった馬が6頭もいる。

 舞台が中京になってチャンピオンズカップというレース名になり、国際招待レースではなくなってから、今年が4度目の開催。過去3年で出走した外国馬は2014年と2015年に1頭ずついただけで、それぞれ15着、16着だった。

 もはやチャンピオンズカップは、ジャパンカップダート創設当初に目指したものとは別種のレースになっている。アメリカをはじめとする外国のダートの強豪と力比べをする場ではなく、「JBCクラシック→チャンピオンズカップ→東京大賞典」という、秋のダート中・長距離王決定シリーズの一戦として定着した感がある。

国際化の流れで創設されたジャパンカップダート。

 ジャパンカップダートは日本競馬の国際化の流れに従って創設された。第1回が行われたのは2000年11月25日、土曜日だった。外国からの招待馬は2頭だけだったが、うち1頭のロードスターリングが3着に来た。母国アメリカではGIIでの2着が目立つ程度の実績でもそこそこ勝負になるのだから、一流どころが来たら、芝のジャパンカップ創設当初のように、日本馬があっさりひねられることも考えられた。

 翌2001年、怖い馬が来日した。アメリカのリドパレスである。チリでGIを4勝し、4歳になったこの年にアメリカのロバート・フランケル厩舎に移籍。7月にサラトガ、9月にベルモントパークでGIを制し、日本に乗り込んできた。

 ただ、これほどの強豪でも本命視されず、2番人気にとどまった。

 日本にも「砂の怪物」がいたからだ。そう、芦毛のクロフネである。

【次ページ】 ダート路線に変更したクロフネの圧倒的な強さ。

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