ゴルフボールの転がる先BACK NUMBER
5連続予選落ちは必要な犠牲だった。
石川遼が語る、スイング改造の真相。
text by
桂川洋一Yoichi Katsuragawa
photograph byYoichi Katsuragawa
posted2017/11/29 11:00
苦戦続きだった日本での戦い。石川遼26歳、ゴルフ人生はまだまだこれからだ。
きっかけは復帰戦・日本オープンの前にあった。
すべてのきっかけは復帰戦・日本オープンの前にあった。
同週、石川はキャディを1試合限定で伊澤秀憲というプロゴルファーに任せている。ツアー通算16勝の名手・伊澤利光の甥にあたり、石川とは同世代。ふたりとも関東出身だったため、ジュニア時代に深い親交を築いた。伊澤は10代のときにイップスを発症し、ここまでプロとしては芽が出ていない。それでも、幼い頃からショットセンスや小技のテクニックに秀で、石川にとっては長く尊敬してきた選手だった。
岐阜県関市で行われた日本オープンで、ふたりは日々、愛知県内のホテルからコースに足を運んだ。夕食を毎晩ともにし、大いに語らい、ホテルの部屋に石川のサンドウェッジを持ち込んでは、長い時間ボールをつついていた。
「父親にも『最近、ひどいよ』と言われたんです」
開幕前日の夜。数日間にわたる練習ラウンドを終え、石川は自分の部屋で聞いた。
「オレのスイングで、気になるところはある?」
ティオフは翌日である。プレーへの影響を懸念し、伊澤は「試合前だけど、言っちゃっていいの?」と遠慮がちだった。石川の熱に押され気味に口を開くと、「……インパクトの時の手元が高い。フェースローテーションを使いすぎていてビックリした」と言った。
「『フォローでフェース面が地面を向いている』って。オレも、自分的には分かっていたところなんですよ。フェースを開いて、返しすぎていると。でも、それまでは調子が悪くなかったから、なかなか変える勇気がなくて……」(石川)
ダウンスイングで手首を激しく返してボールを飛ばす動き、手元が体から離れてしまう悪癖は、石川は今年の初めにも最大の修正ポイントに挙げ、改善に取り組んでいた。ところが思うように成績が出ず、シーズン半ばには次第に昔のスイングへと戻っていたことに気づいた。そこには当初の腰痛への不安が薄れてきたことも関連している。
「秀憲にその時『そりゃそうなんだけどさ……』って言われて。実は初日後、父にも『最近、ひどいよ』と言われたんです。『あ、それ、きのうも言われたなあ……』って。これ、今やるしかないんだと思いました」