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6年前の山田哲人と同パターン?
DeNAのCS秘密兵器は細川成也だ。
posted2017/10/13 10:30
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph by
Kyodo News
流れを変えるための抜擢だった。
ただ、その起用の背景には、きちっとした力の見極めがあったことは、その後のブレークが証明している。
2011年のセ・リーグのクライマックスシリーズ(CS)。ファーストステージで巨人を破ったヤクルトだったが、この年のセ・リーグを制覇した落合中日とのファイナルステージは苦しいスタートとなった。
初戦は中日のエース・吉見一起の好投の前に終盤まで0点に抑えられ、ようやく8回に内野ゴロの間に1点を挙げたが、浅尾拓也、岩瀬仁紀とつなぐ当時の中日の黄金リレーの前に1対2と完敗した。アドバンテージの1勝を含めてこれで0勝2敗。いきなり後がない状態に追い込まれた小川淳司監督が、その夜に勝負手を打ったのである。
埼玉・戸田で秋季練習中だったプロ1年目の山田哲人を急遽、名古屋に呼び寄せたのだ。しかも翌日の第2戦で、いきなり「1番・ショート」で先発起用という大抜擢を行なった。
「流れを変えないといけないと思った。朝の散歩をしている最中に先発で使おうと決めた」(小川監督)
CSで一軍デビュー、“プロ初安打”を記録した山田。
山田はこの年は公式戦での一軍出場経験はなく、一軍未経験でのCS出場は'07年の中日・岩崎達郎内野手以来、史上2人目。ただし岩崎は代走での出場で、いきなり先発出場というのは山田が文字通り史上初だった。
この“一軍初出場”となった試合の山田は4打数で無安打に終わったが、山田の登場は確かにヤクルトの負の流れに楔を打つことになり、この第2戦は3対1で初白星をつかむことができた。その後も先発出場を続けた山田は、第3戦では山井大介から四球を選び、青木宣親のタイムリーで初得点を記録。第4戦では川井雄大から右翼線に二塁打を放って“プロ初安打”をマークするなど、CSの歴史に大きな足跡を刻んだのである。
最終的にヤクルトは中日に敗れて日本シリーズには進出できなかったが、その後の山田のブレークが小川監督の抜擢はまさに必然だったことの証しとなった。