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カープの強さを伝える驚きの逸話。
今も語り継がれる黒田、新井伝説とは?
posted2017/10/02 11:00
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
Kyodo News
広島東洋カープの二軍を指揮する水本勝己はこの27年間、多くの“奇跡”を目撃してきた。
夏が終わりに差し掛かったころ、瀬戸内海の水路である大野瀬戸と宮島を正面にのぞむ廿日市市の大野練習場で会った。2階の監督室には大きなガラス窓があり、室内練習場を見渡せるようになっている。取材中、水本はその窓に背を向けて座っていたのだが、背後が気になって仕方がないようだった。
練習が終わったばかりのグラウンドには誰もいなかったが、やがて1人、また1人と選手が姿を現した。それを見ると水本は相好を崩してこう言うのだ。
「僕が嬉しいのは、コーチも誰もいないのに練習できるようになってきたこと。最初は嘘でもいいんです。最近はそれをしない子が増えてきた。恥ずかしいというか……。新井でもそうですし、黒田でもそうですし、一番初めはみんなここで練習しないところからスタートしている。だから、みんなに気づいてほしいんですよ」
カープ入団前の新井の成績はというと……。
例えば新井貴浩は“奇跡の男”と言われる。カープが25年ぶりに優勝した昨シーズン、39歳にして通算2000本安打を達成し、リーグMVPを獲得した。ただ、広島工では無名。駒大時代も4年間でホームラン2本。うち1本は猛烈な風によってスタンドまで運んでもらった“参考記録”だという。東京までリーグ戦を観に行っていた父・浩吉さんが「あれは風だよ。ホームランじゃない。だから実質、1本しか打ってない」と言うのだから間違いないだろう。
プロ入りに際してもカープは当初、新井を指名する予定がなく、 OBや父親が舞台裏で奔走してドラフト6位で滑り込んだ。
そして奇跡は赤いユニホームを着てから始まるのだ。
新井が若き4番として苦しんでいた当時、水本はブルペン捕手という立場ながら、毎朝、バッティングピッチャーを務めた。いわば管轄外の仕事だが、大きくて不器用な打者とともに汗を惜しまなかった。