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馬場、猪木、鶴田、藤波らを超えろ!
中邑真輔が近づく史上初のWWE王座。
posted2017/09/25 08:00
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
Getty Images
中邑真輔による、日本人レスラー初の快挙がいよいよ現実味を帯びてきた。
9月16日、エディオンアリーナ大阪で行われた、世界最大のプロレス団体WWEの日本公演で、3度目の凱旋をはたした中邑真輔は、メインイベントで王者ジンダー・マハルとWWE世界タイトルマッチで対戦。マハルのセコンド、シン・ブラザーズの乱入に気を取られた隙にフォールを奪われ王座奪取はならなかったが、この“結果”自体に大きな意味はない。
マハルと中邑のWWEタイトル戦は、先のビッグイベント「サマースラム」(8月20日、ニューヨーク州ブルックリン・バークレイズセンター)と同一カードであり、今回はいわばその“ロードショー版”。
中邑が日本公演の“ご当地レスラー”として、この日限定で抜擢されたわけではなく、WWEのツアーにおいてトップを張り続けているという事実こそ、注目すべき点だ。
'74年12月、ジャイアント馬場が初めてNWA王者奪取。
そして、このマハルvs.中邑の因縁のタイトル戦は10月8日の「ヘル・イン・ア・セル」、さらに11月25日「スターケード」という、ビッグマッチでの対戦がすでに決定済み。この2大会のいずれかで、中邑がWWE王座を奪取する可能性は極めて高いと言える。
そうなれば、中邑は史上初の日本人WWE世界王者となるだけでなく“本当の意味で”初めて、米メジャーを制した日本人レスラーとなるのだ。
これまで日本人で世界のメジャータイトルを奪取したレスラーといえば、まず最初に挙がるのは、ジャイアント馬場のNWA世界ヘビー級王座奪取だろう。
馬場は、'74年12月に鹿児島でジャック・ブリスコを破り、日本人として初めて、当時「世界最高峰」と呼ばれたNWA世界王座を獲得。その後、'79年10月(名古屋)、'80年9月(佐賀)にもハーリー・レイスを破り、計3度NWA世界王者となっている。
しかし、この3度の戴冠は、すべて1~2週間後にリマッチで奪い返される超短命政権に終わり、馬場が世界王者としてアメリカ本土で試合をすることは一度もなかった。