ゴルフボールの転がる先BACK NUMBER
「自分のゴルフ人生嫌いじゃない」
岩田寛、米国での2年間を財産に。
text by
桂川洋一Yoichi Katsuragawa
photograph byAFLO
posted2017/08/28 07:00
世界の頂点を視界に入れたわけではなかった。しかし岩田のような挑戦者がいることで、日本男子ゴルフの国際競争力が上がる。
全米プロでは当時のメジャー最少スコアに並んだ。
岩田は何度も不運に見舞われた一方で、綱渡りで演じたハイライトもあった。
そもそも、米進出のきっかけになった'14年のHSBCチャンピオンズは、日本からの有資格者のエントリー辞退で巡ってきた、繰り上げ出場だった。
ショットの調子は低迷したままでも、'15年全米プロで当時のメジャー最少スコアに並ぶ63をマークし、昨年2月にはペブルビーチでフィル・ミケルソンとの優勝争いを経験した。
東北福祉大時代、宮里優作の陰で同級生の岩田はチーム戦でレギュラーの座を確約されていなかった。宮里は当時をこう振り返る。
「寛は67も出すけれど、77もたたく選手だった。だから団体戦のメンバーに定着できなかった」
日々の激しいアップダウン。彼はプロになってからも、米国に渡ってからも、その通りのキャリアを歩んできたのかもしれない。それでいて、迫りくる荒波を人知れず、平然と乗りこなしてきた。
「自分のゴルフ人生は嫌いじゃないです」
ウィンダム選手権を終えた後、10年間コンビを組む新岡隆三郎キャディは「褒めてやってください。これだけ打ちのめされても、アイツは何回でもアメリカに来た」と目を細めた。
そして岩田も言った。
「この2年は(日本で)出場停止になったり、なんか色々ありましたけど……自分のゴルフ人生は嫌いじゃないです。そういうのもひっくるめて」
36歳になったが挑戦の道が断たれたわけではない。その欲は失せず、今後を決めるのは本人でしかない。
「また、お世話になります」
いつかカムバックしても、普段口数の少ない男はそうつぶやいたりはしないだろう。そんなことは、なんでもない。激情を内に秘めて、再び海を渡る日が来ることを願いたい。
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