マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
尼崎4時36分発の始発で甲子園へ。
この球場が幸せな場所である理由。
posted2017/08/20 07:00
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
Kyodo News
その日は第1試合の前に用事があって、朝の6時半ごろに甲子園に着いた。
試合開始までまだ1時間半もあるのに、入場券の売り場には、駅まで届きそうな50メートルほどの列ができていて、それとは別に入場門にもおよそ30メートルの列ができている。こっちのほうは、すでに“前売り”を手に入れている人たちの列だ。
その入場門組の中に、プロ野球各球団の若いスカウトたちの顔が何人も見える。
この時間にもう列に並んでいるのだから、彼らが甲子園に着いたのは6時なのか、5時半なのか。
ゲートが開くのは7時だ。
試合開始と同じかん高いサイレンが鳴って、それぞれのゲートから球場に入った観客たちがスタンドになだれ込んでくる。
おそろしいほどのダッシュ。
そのスピード、その気迫、その殺気。目指すシートに向かって、ものすごい争奪戦が始まる。
その“脱兎”の群れの中に、スカウトたちの姿も混じる。現役を終えて何年も経っていない若手たちばかり。スピード、気迫、そして殺気でもぜんぜん負けていないし、その上彼らには鍛え上げたパワーがある。
あっという間に目ざすエリアに駆けつけると、新聞を広げ、ビニールシートを広げ、球団全員のぶんの席を確保するのだ。
「尼崎4時36分発、始発です!」
開門してすぐスタンドに駆け込んできたのだから、彼らが並んでいたのは、ほぼ列の最前方だったことが想像できる。
「何時に来たの……?」
思わず訊いていた。
「尼崎4時36分発、始発です!」
ヒットを打ったあとのような顔で、若いスカウトが教えてくれた。
「たいへんだねぇ……」
それしか、言葉が出なかった。
「4時に起きて、そのまま来るんですよ」
言葉に“泣き”が滲んでなかったのが救いだった。