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4部から2年連続昇格でセリエB復帰!
パルマは破産からどう立ち直ったか。
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byKyodo News
posted2017/07/14 08:00
日本では中田英寿が所属したクラブ、として知られるパルマ。当時はセリエ有数の強豪だったのだ。
4部の年間シート販売記録を塗り替える。
'15年の夏、新クラブ「パルマ・カルチョ1913」は4部から再出発した。
身銭を切りながら設立に奔走した地元の名士7人の侠気にパルマ市民も応え、タルディーニの年間シートは売れに売れた。10089席という販売数は、アマチュアである4部リーグにあって空前の最多記録だった。
新生パルマは、開幕から破竹の勢いで勝ち続けた。市民の後押しや復活への気概に満ちた1年目の勢いもあって、シーズンを無敗優勝。プロの舞台である3部昇格を決めた。
注目度が上がったことで、世界的保険関連企業「AON」がスポンサーについた。3部クラブとしては破格の厚遇も手に入れた新生パルマの歩みは、次の目標であるセリエB昇格へ向けて順風満帆のはずだった。
現場のトップを全員解雇する、という荒療治。
しかし、昨季のパルマは序盤から苦しんだ。
3部レーガ・プロはイタリア全土を3つに分ける。そのうち、パルマが属したグループBは、元ミラン監督のインザーギ率いるヴェネツィアやパドヴァ、近隣の仇敵レッジャーナなど、強力なライバルたちがひしめく激戦区だった。主将ルカレッリやA経験も豊富なベテランFWカライオを除く大多数の選手たちは、アマとプロを隔たる差に戸惑い、苦戦が続いた。
国中から寄せられる名門復活への期待も強く、経営陣や選手たちが抱えるプレッシャーは決して軽くない。
荒療治がなされたのは、昨年秋のことだ。
ホームでさしたる抵抗も見せず、パドヴァに敗れた失態を見た経営陣は、“このままではまずい”と判断し、チームへ大鉈をふるった。
創設者7人からなる役員会は、結果を出さねばこうなる、とばかりに1年目の昇格を導いたアポッローニ監督やミノッティTD(テクニカル・ディレクター)といった現場のトップを全員解雇、「勝利への執着心を身につけよ」と選手たちに迫った。役員会が独断で進めた強引な解任劇に反発したスカラ会長が辞任する騒ぎも起きた。