セリエA ダイレクト・レポートBACK NUMBER
4部から2年連続昇格でセリエB復帰!
パルマは破産からどう立ち直ったか。
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byKyodo News
posted2017/07/14 08:00
日本では中田英寿が所属したクラブ、として知られるパルマ。当時はセリエ有数の強豪だったのだ。
昇格プレーオフ直前、ロッカールームで……。
セリエB昇格プレーオフ決勝の舞台は、フィオレンティーナの本拠地「アルテミオ・フランキ」だった。
パルマの主将ルカレッリは、まだ若かった頃のことを思い出した。フィレンツェでプレーしたのは13年前、セリエBからAへの昇格を勝ち取ったシーズンだ。
DFルカレッリの前方には、いつも鬼瓦みたいにいかつい顔をしたキャプテン、MFディリーヴィオがいた。
ADVERTISEMENT
日韓W杯にもイタリア代表として出場した“闘将”は、'02年の夏にフィオレンティーナが乱脈経営で破綻したとき、「俺は見捨てない。4部に落ちてもここに残る」と宣言し、本当に残るとセリエC2(当時)からA昇格までチームの精神的支柱であり続けた。
自分もああなれるだろうか。
40歳の誕生日を目前にしていたルカレッリは、どんな苦境にあっても頼もしかった不屈の男の背中を思い出しながら、決勝戦に臨むロッカールームで年下の同僚たちへ静かに頭を垂れた。
「頼む、俺をセリエBに連れて行ってくれ。おまえたちの力を貸してくれ」
そして、あらん限りの声でルカレッリは号令をかけた。
「Uno per tutti(1人は皆のために)!」
チームメイト全員は呼応し、団結した。
「Tutti per uno(皆は1人のために)!!」
もはや決勝の相手アレッサンドリアは、敵ではなかった。
4部から3連続昇格したクラブは歴史上1つもない。
決勝戦から数日後、このシーズン限りでスパイクを脱ぐつもりだったルカレッリは引退を翻意し、契約をもう1年延長した。パルマでの10年目にあたる新シーズンは、A復帰をかけた正念場だ。
「今、辞めるのは、せっかく支度をととのえた食卓を誰かほかの人間にむざむざ譲り渡すようなものだろう(笑)? 3部や4部とは比較にならないほど、セリエBが厳しいことはわかっている。だが、夢はまだ終わらせんよ」
中国資本による買収が成立した後、新経営陣が目指すのはアタランタをモデルとした育成型クラブ運営であり、5年以内のセリエA昇格だ。
来季、セリエAへ参戦するスパルとべネヴェントのように、2季連続昇格で1部に辿りついた例はいくつかあるが、4部から3季連続昇格でセリエAへ上り詰めたチームは、カルチョの国の歴史上、1つもない。
パルマは灰の中から蘇った。ベテラン主将の夢はつづく。奇跡は3度も続かない、と誰が言えようか。