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大家友和、引退と特殊なキャリア。
「生涯、野球からは離れない」
posted2017/06/20 11:00
text by
ナガオ勝司Katsushi Nagao
photograph by
Kyodo News
大家友和が日本時間19日の夜、引退を発表した。
日米通算59勝のうち51勝を、メジャーリーグのボストン・レッドソックス、モントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)、ミルウォーキー・ブルワーズ、トロント・ブルージェイズ、そしてクリーブランド・インディアンスの5球団で記録したという事実に彼の特異性がある。
日本球界に復帰後、右肩の故障を経てナックルボーラーに転向し、日米の独立リーグで投げる傍ら、2度にわたって渡米してメジャーにも再挑戦している。
こんな選手は他にはいない――。
「20年以上いろんなとこで野球やってきて、それなりにいろんなことを経験してきたと思いますよ」
大家がそう言ったのは、ナックルボーラーとして挑戦したボルティモア・オリオールズのマイナーリーグ・キャンプでのことだ。
自ら振り返る、大家がメジャーにいられた理由。
「昔は見えてなかったことが、今ならよく見える。たとえばプロに入って来る選手ってのは球が速いとか、球を遠くへ飛ばせるとか、何か他の人より秀でたところがある。その中からメジャーに上がれる選手っていうのも、他のマイナー選手に比べて何か秀でたところがある。
僕はメチャクチャ球が速かったわけではないし、見た目に凄い変化球を持っていたわけではなかったけど、アメリカに来た頃の僕はどうだったんだろう? って考えた時、やっぱり今ここでやってる連中より、投手としての完成度は高かったと思う。運とかタイミングも確かにあるんだけれど、そうでなければ1年目からメジャーには上がれていないし、あんなに長くメジャーにはいられなかったと思う」
言うなれば、大器晩成型。京都成章高校では3年生の春まで1番を背負うことすらなかった。1993年のドラフト3位指名で横浜ベイスターズに入団した翌年、高卒ルーキーとしてプロ初勝利を挙げるものの、その後の4年間は一軍に定着ができず、プロ最初の5年間で結局、1勝止まりだった。