“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
ソテルドは“変態”的に強かった!
U-20W杯で原輝綺が見た世界レベル。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byPenta Press/AFLO
posted2017/06/11 07:00
左からソテルド、市丸、原。U-20W杯決勝まで上り詰めた「ソテルド」の名は、そう遠くない未来に世界で轟くことになるはず。
「『勘弁してくれよ!』と叫ぶしかなかった」
パスがソテルドの足下に届く直前、「もらった!」と原が動き出す……しかし、次の瞬間、ソテルドはボールを自分の後ろへ引き込むようにトラップして、一瞬のうちに原からボールを隠した。この瞬間、局面は原の間合いから、一瞬にしてソテルドの間合いに変化してしまっていた。
「もう心の中で『勘弁してくれよ!』と叫んでしまいましたよ。一瞬にしてボールを僕の足が届かない場所に引き込んでいったので、まったく飛び込めなくなってしまったんです」
パスを受けたソテルドは、一瞬タメを作った後、左サイドに流れながら冷静にクロスを送り込んでいった。
結局、この一連の動きに、原は付いていくだけで精一杯だった。
「最後は、ただ彼に付いていくしかなかった……。彼にパスが出されたまではすべて僕のシナリオ通りだったのに、打つ手、打つ手、すべてを覆されてしまって。もう『勘弁してくれ』と言うしかなかったですね」
U-20W杯の敗退後、新潟での戦いが始まった。
原輝綺が経験した「世界」とは、まさに「ソテルドのプレー」だった。ソテルドによって原のサッカー観は劇的に変えられてしまったのだ。
「守備の考え方が変わりました。前からタイミングをズラす守備はやっていたけど、それを覆されたときの選択肢の少なさや、それでも勢いを持って足を伸ばして奪いきれるようになる技術を身につけないと……いつまで経っても彼に追いつくことができないので」
戦いを終えて帰国し、アルビレックス新潟の一員として、J1リーグを戦う日常に戻った。
監督交代に揺れるチームの中で、第14節のセレッソ大阪戦でスタメンフル出場を飾るなど呂比須ワグナー新監督からも信頼を得てはいるが……チームは0-4の大敗。