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2度の戦力外を乗り越えた久保裕也。
松坂世代、後藤武敏との友情は続く。 

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瀬尾泰信(Number編集部)

瀬尾泰信(Number編集部)Yasunobu Seo

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photograph byYasunobu Seo

posted2017/05/11 07:00

2度の戦力外を乗り越えた久保裕也。松坂世代、後藤武敏との友情は続く。<Number Web> photograph by Yasunobu Seo

梨田昌孝監督は「若い選手の手本に」と、久保を高く評価しているという。

「野球をやりたい」という飢餓感に駆られた。

 それでも、「野球をやりたい」という思いが、消えることはなかった。むしろ、飢餓感でおかしくなりそうだった。それに巨人時代の知人が、いろいろ他球団の伝手を辿ってくれていた。どこかでテストを受けさせてもらえるかもしれない。

 その時を信じて、オフを過ごし、練習場所を転々としながら、体を鍛えた「ビモロ」シューズの開発者である小山裕史氏の指導を仰ぎ、初動負荷理論に基づくトレー二ングにも取り組み、コンディションを整えた。

 そして2月。楽天のテストが決まった。調整は、思いがけないほどうまくいった。自信を胸に沖縄・金武町に入った。チームの練習に3日参加し、迎えた2月16日、韓国・ハンファとの練習試合に2人目の投手として登板。1回1安打(セーフティーバント)、1奪三振、無失点だった。

不合格を覚悟も、星野副会長から「合格だ」。

 しかし、本人は不合格だろうな……と思っていた。

「手応えは……まったくなかったですね。自主トレの時は、『俺、こんな球投げれたんだ』というくらいの手応えがあったんです。でも沖縄に入ったら、練習初日から全然変わってしまって、『おかしいおかしい、この間のはどこいっちゃったんだ?』というくらいに体のバランスがおかしくなってしまって。見られている、というプレッシャーや焦りもあったんだと思います。だから、登板が終わってすぐ、あきらめました。すぐに荷物を整理して、タクシーで空港に向かいました。そうしたら球団の方から連絡があって、(球場に)戻ってこい、と。正直『残念だけど……』と言い渡されるんだろうな、と思いながら戻りました」

 キャンプ地に戻ると、待っていたのは星野仙一球団副会長だった。

「合格だ」──。

 涙が出るくらい、嬉しかった。投手としてはもちろん、その経験を生かして若手投手の手本になってほしい、との首脳陣の期待が込められた「合格通知」だった。

【次ページ】 「どこかに引っかかってくれと思ってましたからね」

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