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宿敵・杉内俊哉の再生を願って。
木佐貫洋、巨人スカウト転身の今。
posted2017/04/28 11:30
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph by
Wataru Sato
「大学1年生に戻ったような1年間でしたね。右も左もわからないので、ただ必死に仕事を覚える。私は器用じゃないので、今でもひたすら数をこなす日々です」
元プロ野球選手の木佐貫洋は、2016年から巨人のスカウトとして活動している。
高校、大学、社会人の試合に足を運び、スタンドから選手を観察する。その結果を記すスコアブックは、几帳面といえるほど丁寧な文字で書かれていた。本人は「もとが汚い字だから……」と謙遜した上で、言葉を続けた。
「スコアの付け方も、新人の時にファームで習うものですが、僕は一軍で投げさせてもらえていたので、しっかりと教わっていませんでした。すべてがイチから勉強です」
'98年夏の県大会決勝、杉内と木佐貫は投げ合った。
13年間のプロ野球人生。巨人、オリックス、日本ハムと計3球団を渡り歩いた。
「どの球団でも1年目はいい結果を残せたんです。それを持続できなかったというのが、私の力不足。今現役を続けられていない理由でしょうね」
各球団の1年目の成績は、巨人では10勝7敗、防御率3.34で新人王。オリックスでは10勝12敗、防御率3.98。日本ハムでは9勝8敗、防御率3.66。「とにかく必死」に投げる1年目を終えると、肩や太ももなどのケガに泣かされた。
本人にとって最も印象深い試合は、巨人でのプロ初登板と、日本ハム時代に杉内俊哉に投げ勝った巨人戦('13年5月20日)。7回1失点の好投だったが、試合前から強い思い入れがあった。
その背景は'98年までさかのぼる。松坂大輔が春夏連覇を成し遂げたその年。夏の鹿児島県の地方予選決勝では、川内高の木佐貫と、鹿児島実高の杉内が投げ合っていた。結果は1対3。木佐貫は大一番で力を出しきれず、杉内に軍配が上がった。