オリンピックへの道BACK NUMBER
さわやかなそよ風のようなスケート。
「すべて出し尽くした」浅田真央の21年。
posted2017/04/14 11:40
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Shigeki Yamamoto
予定開始時刻の1時間も前から詰めかけた記者やカメラ、用意された座席を大幅に上回る来場者……。交わしている言葉から推測すると、スポーツ以外のメディアも多数いるようだった。海外の記者もいる。最終的には約430人に上ったという。
その光景に、中野友加里の以前の言葉を思い出す。
「フィギュアスケートがメジャーになったのも、トリプルアクセルを知らなくてもすごいジャンプなんだと認識してもらえるようになったのも、真央ちゃんからですよね」
グランプリファイナル初出場初優勝を飾った2005年を語る中での言葉だった。
白のブラウスとジャケットをまとった浅田真央が現れる。無数のフラッシュに包まれながら、マイクを手にする。
「本日はお忙しい中、お集まりいただき、ありがとうございます。私、浅田真央は選手生活を終える決断をいたしました。長い選手生活でしたがたくさんの山がありました。でもその山を乗り越えてこられたのも、たくさんのファンの方の応援があったからだと思います」
その表情は、どこまでも晴れやかだった。
これまでの人生、常に新しい目標を見つけてきた。
5歳から始めたフィギュアスケートに、26歳の今、終止符を打った。
これまでをあらためて振り返れば、中学生の頃と今日とで、不思議と姿が重なる思いがする。変わらぬ姿勢と言っていいかもしれない。
その手がかりは、長期間の競技生活の支えとなっていたものは? と尋ねられたときの答えにあった。
「1つは、自分の目標ですね」
振り返れば、その言葉の通り、常に新しい目標を見つけては取り組んできた競技人生だった。