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世界1位のDJを焦らせた谷原秀人の技。
マスターズに再び出るための10年間。
text by
舩越園子Sonoko Funakoshi
photograph bySonoko Funakoshi
posted2017/03/31 08:00
係員やボランティア、誰に声をかけられても笑顔で対応する谷原秀人は、現地であっという間に人気者に。
マスターズに出られる世界50位への綿密な計画。
昨年は全米オープン、全英オープン、全米プロにも出場。久しぶりに世界の華やかな空気を吸い、モチベーションは自ずと高まった。日本では池田勇太と賞金王の座を競い合った。だが、王座を惜しくも逃し、翌年のマスターズ出場権が得られる「世界ランキング50位以内」にも入ることができなかった。その悔しさが谷原の挑戦心を一層、湧き上がらせた。
「去年(世界50位に)入れなかった時点から、試合出場もいろいろな組み立てをしてきた。世界64位を外れると、このマッチプレーにも出られない。(そうならないよう)計画を立てながら、やってきた」
1ポイントでも多く稼ぎ、世界ランキングを50位以内へ上げるため、シンガポールやミャンマーの試合にも足を運び、欧州ツアーとアジアツアーの共催として創設されたばかりの新形式の大会にも出場。
世界選手権シリーズのメキシコ選手権とマッチプレー選手権の2試合が最後のチャンスとなったが、世界56位で迎えたメキシコでは体調不良に見舞われ、本領発揮には至らなかった。
谷原「今の自分は10年前とは違う」
ラストチャンスのマッチプレーに臨んだとき、世界ランキングは60位。その位置から50位以内へ一気にランクアップすることは、限りなく優勝に近い順位が求められることと同義。「誰と対戦しても僕より格上の選手ばかり」を打ち負かし続けることは、ウルトラC級のほとんど奇跡に近い離れ業だった。
だが、谷原は初っ端からマスターズチャンプで元世界一のジョーダン・スピースを破って大きな注目を浴び、準決勝まで進んで対戦したのが世界ナンバー1のジョンソンだった。その勝負には敗れたが、王者を相手に善戦した手ごたえは谷原の中に残った。
「チャンスはあった」
そう感じ取れたことは大きな自信となり、膨らんでいく。
そして何より、4位になったことで自身2度目のマスターズ出場権を手に入れた。
「今の自分は10年前とは違う。昔は浮足立っている状態だった。今は地に足をつけてやれている。違う目線でマスターズを見ることができる」