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30年間マスターズを撮り続けた男。
レンズ越しに見た松山英樹の“芯”。

posted2017/03/26 07:00

 
30年間マスターズを撮り続けた男。レンズ越しに見た松山英樹の“芯”。<Number Web> photograph by Yoichi Katsuragawa

ゴルフは、決して瞬間的な動きが多い競技ではない。しかし、カメラマンによって切り取る瞬間は実は全く違うのだ。

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桂川洋一

桂川洋一Yoichi Katsuragawa

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Yoichi Katsuragawa

 ゴルフの祭典・マスターズに日本人が初めて出場したのは今から81年前。陳清水と戸田藤一郎が招待された1936年の第3回大会以降、多くの日本勢がこの世界最高のゴルフショーの舞台に上がってきた。
 最も多く出場したのは19回の尾崎将司である。ただし、彼ら以上にオーガスタナショナルの芝を踏んできた日本人がいる。
 カメラとともに世界を渡り歩いてきたゴルフフォトグラファー・宮本卓(みやもとたく)。今年4月、オーガスタを訪れるのは実に30大会目となる。これほど多く当地に取材に赴いているカメラマンは、米国でも数少ない。歴史的シーンを写真に収めてきた生き字引といえる人物だ。

1987年、取材パスも持たずに渡米した。

 宮本氏がオーガスタを初めて訪れたのは1987年。ゴルフ雑誌の写真部から独立し、フリーカメラマンになった後のことだった。

「当時は先輩のカメラマンが多くいて、自分にマスターズに行く出番は回ってこなかった。帰ってきた先輩たちの写真を見ると『なんて美しい……これがオーガスタか』と驚いてばかりでね」

 胸に膨らみ切った憧れに突き動かされ、取材パスを持たぬまま渡米した29歳の春。マスターズは当時も今も、試合前の練習日であれば、観客ともども誰もが撮影できる。手に入れた観戦用のチケットを握りしめ、足を踏み入れた。

「1987年は、久々にAONが3人そろってマスターズに出た年だった。前の年にジャック・ニクラスが(最年長記録の)46歳で優勝して、すごく盛り上がっていた時。雑誌も新聞の記者も、前の週から2週間ずっとオーガスタで取材をしていた。でも僕だけ、肝心の試合を撮影できなかったけどね」

 宮本氏はその後、米ツアーに参戦していた中嶋常幸に帯同して米国中を回った。

「一緒に旅をしたんだけど、マスターズだけは入れなかった。トミー(中嶋)に『オーガスタ、行ってくるわ』って言われるの。それがまた悔しくて……。『これだけPGAツアーを取材しているのに、オーガスタに入れないのかよ』って」

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