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扇原貴宏は齋藤学を操れるか?
横浜FMで復活を期す男の「直感」。
posted2017/02/24 11:30
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph by
J.LEAGUE PHOTOS
新天地にサッカー人生を懸けて挑戦する。
名古屋グランパスから横浜F・マリノスに完全移籍してきた扇原貴宏は、そんな気持ちだという。
扇原は、現在の日本代表で一大勢力になりつつあるロンドン五輪世代だ。ロンドン五輪に出場し、山口蛍とダブルボランチを組み、4位という成績に貢献した。左足から繰り出されるパスやゲームメイクが高く評価され、清武弘嗣や山口より先に海外へ移籍するのではとも言われていた。
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日本代表にも2013年東アジアカップで招集され、オーストラリア戦でデビューを果たし、将来のボランチとしても期待された。ブラジルW杯のメンバーには入れなかったが、多くのロンドン世代が入っていることに刺激を受け、「蛍やキヨくん、(柿谷)曜一朗くんに刺激を受けた。次は絶対に自分もそこにおるんやっていう気持ちで4年間をやっていきたい」と、語っていた。
セレッソで失った定位置、名古屋でのケガ。
扇原のサッカー人生に暗雲が漂ったのは、昨シーズンだった。J2にいたセレッソ大阪の監督に大熊清が就任し、J1復帰が厳命された。山口が海外に移籍した穴を埋めるために山村和也、ソウザが加入してきたが、結局この2人がレギュラーに定着。出場機会を失った扇原は7月1日、名古屋に完全移籍することを決めた。そのときは次のように語っていた。
「グランパスで自分がまだまだやれることを見せて、チームに貢献したい。セレッソを後悔させるぐらいの活躍がしたいですね」
扇原は心機一転、名古屋で輝きを取り戻すために動きだした。ところが移籍してわずか2試合目となる鹿島戦で負傷。腰椎突起骨折と診断され、長期離脱を余儀なくされた。その後、ベンチには10月29日に戻ってきたが、名古屋での出場は2試合のみに終わりJ1残留の力になれなかった。