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補欠なし、卑屈なし、フレンドリー。
米と日本、スポーツ育成の違いは?
posted2017/01/24 08:00
text by
林壮一Soichi Hayashi Sr.
photograph by
AFLO
「何やってんだ馬鹿野郎!」
「それが普段やっていることなのか?」
ダグアウトから罵声が響く。マウンドに立つ小学6年生の男児は、何度も帽子を被り直しながら、ベンチに視線を送る。1回の表で0-4。萎縮してしまったピッチャーは、全ての失点を押し出しで与えていた。
この日、東京都港区青山霊園脇のグラウンドでは、リトルリーグの練習試合が行われていた。何名かプロ野球選手の息子が在籍したことのある“名門”に、下町チームが胸を借りる形で始まったゲームだ。下町のエースは、相手の名前にすっかり怖気付いていた。そればかりか、指導者の顔色を窺い、おどおどしながら投球していた。
名門の誉れ高いチームのコーチも、やはり試合中に選手を口汚く罵るシーンが見られた。試合を観戦に来ていた保護者にそれとなく訊ねると、両チーム共に、監督は甲子園出場者であるとのことだ。
下町チームの父親は言った。
「甲子園に出たほどの方ですから、指導法に間違いはないでしょう」
二軍が一軍に対して卑屈なのは日本特有?
甲子園が高校球児の憧れであることは、日本人なら誰でも知っている。地区予選を勝ち抜き、県の代表になるには、自身にもチームメイトにも、対戦相手にも勝たねばならない。青年期に1つのことに打ち込む姿は、誇張無く美しいものだ。
しかし、そうしたキャリアと、次世代の若者への接し方とは別物であろう。両チームの小学生たちは野球が好きなはずだが、子供らしい笑顔はほとんど見られず、指導陣に怯えながらプレーしている様に、違和感を覚えた。
アメリカの高校では団体競技の場合、一般的に一軍、二軍、新入生チームと3グループに分かれている。マイケル・ジョーダンでさえ、そうしたピラミッドを上った。日本と最も異なっているのは、米国においては二軍のメンバーが一軍に対して卑屈になることがない点だ。全力でプレーする競技仲間として、存在を認め合う。