畠山健介のHatake's roomBACK NUMBER
畠山健介が語るジャパンFWの結束。
いつも一緒だったユハさんについて。
text by
畠山健介Kensuke Hatakeyama
photograph byKensuke Hatakeyama
posted2016/10/22 11:00
畠山健介と、ユハさんこと湯原裕希はプライベートでも大の仲良しなのだ。
部屋でも、バスでも、いつもユハさんと一緒だった。
日本代表の合宿や遠征先での宿泊施設では、2人1部屋で過ごす。同じ部屋になった人を「ルーミー」と呼ぶ。僕のルーミーは必ずユハさん(湯原裕希、東芝ブレイブルーパス)だった。
別の人とルーミーになった時はお互いのルーミーに説明して、ユハさんとルーミーにしてもらった。最初は「なんで?」という顔をされたが、最後の方は笑いながら部屋の鍵を交換してくれた。バスで移動する時も絶対、ユハさんの横に座った。1人1席座れるほど余裕がある時も、必ずユハさんの横に座った。
僕は基本的にどんな人ともコミュニケーションを取れるが、自分を晒け出せるのは、ユース時代に知り合い、JK(ジョン・カーワン)ジャパンでも一緒にW杯を戦ったユハさんだけだった。
宿泊先での合言葉は「俺たち、ヴァンパイア」。
出身地も所属チームも違うし、年齢も2つ離れている。先輩、後輩というよりは「兄弟」に近い感覚かもしれない。ユハさんは僕のメンター(心の支え)だった。
ユハさんはフッカー(2番)、僕は右プロップ(3番)、スクラムでは最前列の隣にいるからよくコミュニケーションを取るし、早朝トレーニングも一緒の時間なので同じ時間に起きる(ポジションが違うと、ルーミーでも起床時間は異なる)。ミーティングも一緒。バスは隣。一緒にいない時間は、トイレか部屋のシャワーの時ぐらいだった。
お互い真っ暗で涼しいところで寝るのが好きなので、僕らの部屋は常に薄暗く、涼しかった(人によっては極寒だったらしい)。僕とユハさんは新しい宿泊先に移るたびに、チェックインしてすぐ部屋に入り、2人の合言葉「俺たち、ヴァンパイア」と笑いながら、昼間の明るいうちから部屋のカーテンを閉め、冷房をMAXにして、それぞれのベッドに飛び込んだ。
ラグビー以外は「2人ともお酒は強くない」、「下世話な話が好き」、「府中市在住」、これくらいの共通点しかない。しかし話は無限に続けられた。若い時は中身があってないような話がほとんどだったが、お互い結婚して家庭を持ち、子供が産まれて家族が増え、会社や仕事、将来のことなど、時間が進むにつれて話題の質が変わっていった。
練習がない時は一緒に街に出かけて、お茶したりご飯を食べに行ったりした。日和佐(篤。サントリーサンゴリアス)やヤンブー(山下裕史。神戸製鋼コベルコスティーラーズ)がついて来ることも多々あったが、基本的に僕はユハさんと常に一緒に行動していた。