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太田宏介が上げ、小林悠が仕留める。
同級生で、親友で、ずっとライバル。 

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二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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photograph byJFA

posted2016/10/06 12:30

太田宏介が上げ、小林悠が仕留める。同級生で、親友で、ずっとライバル。<Number Web> photograph by JFA

開いた位置からでも効果的な太田宏介の速いクロスは、日本代表の攻撃に幅をもたらす。

2年前、代表でもすぐに開通したホットライン。

 2人がそろって代表の舞台に立ったのが、ちょうど2年前の親善試合ジャマイカ戦だった。小林が交代出場して代表デビューを果たし、残り時間わずかのところで太田もピッチに入った。

 そしてすぐにホットラインは開通した。太田の左クロスに合わせたのは、ゴール前で待っていた小林。ヘディングシュートは外れたものの、息の合った2人だからこそのシーンであった。当時を思い起こして、太田は言った。

「僕が入ってファーストプレー。あれは決めろよと思いました(笑)。ボール1個分、もうちょいゴール寄りだったらピンポイントだったかなと思います」

 次のブラジル戦では2人とも先発で起用され、最初のチャンスも「ホットライン」がつくっている。左サイドを駆け上がった太田がニアに鋭いクロスを送り、相手のクリアに反応した逆サイドの小林がボレーシュートを放った。

 2人そろっての出場はこの2試合のみ。2015年1月のアジアカップでは2人ともメンバーに招集されながら出場ゼロに終わった。「しっかり準備しておこう」、「辛抱して待つことも大事」と2人はお互いに声を掛け合って、モチベーションを高めていた。

「ブラジル戦以来、2人で一緒には代表戦のピッチに立ってないわけですからね。もちろんまずは自分がピッチに立たなきゃいけないけど、2人で一緒にという思いも強い。同じ町田出身で、同じ年で、ずっといい意味でライバル関係でやってきて、今一緒にこの場に2人でいるというのは幸せだと思いますから」

代表のユニフォームを一緒に着よう、という約束。

 日本代表のユニフォームを一緒に着よう――。

 小林が結婚式を挙げた際、出席した太田は親友からメッセージカードを受け取っている。心に響くものがあった。

 2010年1月のイエメン戦で先に代表デビューを果たしているとはいえ、以降は代表から遠ざかっていた。その約束を実践に移すべく、2014年4月に小林は代表候補合宿に呼ばれた。太田は「嬉しかった」と同時に、嫉妬心も膨らんだ。

 あのとき彼はこう言っていた。

「悠が点を取ったら僕は嬉しいし、Jリーグのなかでも一番応援したい選手。その悠が候補合宿に呼ばれて僕も嬉しかったんですけど、『じゃあ自分は何してんだよ』って。悠が入って、自分が入っていないという立ち位置はやっぱり悔しかった。ポジションは違うし、(高校を卒業してからの)経緯も違う。でも一番、身近な存在であり、一番のライバルなんです」

【次ページ】 “友情コンビネーション”炸裂はきっと間もなくだ。

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