詳説日本野球研究BACK NUMBER
球史に残る偉業が生まれつつある……。
“二刀流”大谷翔平の圧倒的な数字。
posted2016/09/29 16:45
text by
小関順二Junji Koseki
photograph by
Nanae Suzuki
優勝までマジック1と迫った9月28日の西武戦、日本ハムのマウンドに立ったのは大谷翔平だった。
日本ハムの勝敗にかかわらず、2位ソフトバンクがロッテに敗れれば優勝が決まるという流れだが、大谷のピッチングからはそういう他人任せの気分が微塵も感じられなかった。
打たれたヒットは5回の森友哉による単打1本だけ。5回から8回までの12アウトのうち10アウトが三振によるもの。ストレートはすべて150キロを超え、155キロ未満は1球しかなかったと思う。9回を投げ1安打完封、奪三振15の迫力に、西武プリンスドームで観戦していた私は、途中まで「勝てば優勝」という局面をすっかり忘れていた。
打者としては規定打席にこそ到達していないが打率.322、本塁打22、打点67。
投手としては規定投球回に達していないが防御率1.86、10勝を記録。もし仮に、30日にある今季最終戦のロッテ戦で3イニングだけでも投げたとしたら防御率1位も確定する成績である(この原稿を書いている9月29日現在、パ・リーグの防御率1位はロッテ・石川歩の2.16)。
まるで少年漫画の世界のような出来事。
大谷がプロ入りした直後、私も含めたマスコミは投打二刀流に懐疑的な視線を向けたが、大谷はそれを力で封じ込め、少年漫画の世界でしかあり得ないような打者としての打率3割、100安打、20本塁打超え、投手としての10勝超え、防御率1点台を記録した。この大谷の活躍がなければ日本ハムの逆転優勝はなかったはずだ。
6月24日時点で首位のソフトバンクと3位日本ハムの間には11.5ゲームという大きな差がついていた(ソフトバンクと2位ロッテは7.5ゲーム差)。それが8月25日には首位が逆転し、さらにそこから約1カ月間熾烈な優勝争いが続くとは思わなかった。ちなみに、6月25日の毎日新聞朝刊運動面の見出しには「首位タカ単独飛行」とあった。
日本ハムがこの強いソフトバンクに迫ることができたのは6、7月の好調に負うところが大きい。6月19日から7月11日にかけて破竹の15連勝を遂げ、17日前に11.5あったゲーム差はこの時点で5に縮まっていた。ソフトバンクが低迷していたわけではない。6月の成績は16勝6敗と好調を維持し、日本ハムに5ゲーム差に迫られた7月11日時点での勝率は、まだ6割8分4厘と圧倒的だった。