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あのスラッガーたちの今を尋ねて。
「王二世」阿久沢毅(桐生)の場合。
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph byShigeki Yamamoto
posted2016/08/12 11:30
阿久沢監督、群馬県立勢多農林高校での指導風景。元西武の山崎敏などを輩出している硬式野球部である。
甲子園2回戦で敗退後、阿久沢は硬式野球を辞める。
続く春季関東大会は、決勝で桐生と前橋が激突。
お隣・埼玉県の県営大宮球場には、県勢による頂上決戦をひとめ見ようと群馬県民が大挙して押し寄せたという。
この試合は桐生がサヨナラで2対1と制したが、当の阿久沢は3打数無安打と沈黙。技巧派の松本にひねられるかたちとなり、夏に向けて不安を残した。
そして迎えた、1978年の夏の甲子園。PL学園が「逆転のPL」の異名をとって初優勝を果たした裏で、群馬県大会を順当に勝ち抜いた「東の横綱」桐生は2回戦・県岐阜商戦で敗れてひっそりと姿を消していた。
アイドル的人気を誇っていた木暮が早々と甲子園を去ることは大きく報じられたが、不思議と阿久沢の敗戦後の談話は少ない。
大会が終わると阿久沢はプロ12球団がドラフト候補に挙げていると評判になり、指名有力選手として雑誌で特集が組まれたこともあった。
だが、この試合を最後に阿久沢は硬式野球を辞めることになる――。
阿久沢は、夢を叶えて野球指導者になっていた。
それから38年が経過した、2016年の夏。
王の母校である早実には清宮幸太郎というスラッガーが現れ、高校野球ファンの間でも「ホームラン」の持つ魅力が例年以上に評価されるようになっている。群馬県出身のNumber編集部野球担当・Tが幻のように消えてしまった強打者を訪ねて故郷に帰ったのは、そんな7月のある日だった。
阿久沢は高校時代の夢を叶えて指導者となり、今は前橋市内にある公立の勢多農林高校野球部の監督になっている。
農業高校らしく外野やブルペンは学校内で育てたという甲子園と同じ種類の芝生に覆われ、グラウンドでは測量の実地訓練が行われていた。阿久沢は高校卒業後、地元の国立・群馬大学に進んで教員免許を取得。最初の2年を小学校教諭として過ごした後、高校教師として県内の高校で野球部の監督を歴任している。