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26年目のG1クライマックス。
棚橋弘至、ぶっ壊れた「エース」。

posted2016/07/27 17:30

 
26年目のG1クライマックス。棚橋弘至、ぶっ壊れた「エース」。<Number Web> photograph by Essei Hara

棚橋のモットーである「疲れない、落ち込まない、あきらめない」で、この最大の危機を乗り越えられるか?

text by

原悦生

原悦生Essei Hara

PROFILE

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Essei Hara

 勝てないエースがいる。思うように勝てないエースがいる。

 棚橋弘至。昨年のG1クライマックス優勝者だ。

 1991年、蝶野正洋の優勝で始まった新日本プロレス「夏男」決定戦、G1クライマックスは26年目を迎えた。年に一度の別格の「本場所」。顔ぶれは変わっても他のシリーズとは一味も二味も違う。近年では約1カ月、真夏のロングラン。それは選手にとっても過酷な夏の試練なのだ。

 棚橋は5月21日の後楽園ホールの8人タッグマッチで、左肩剥離骨折および二頭筋断裂という重傷を負って、2カ月戦列を離れた。復帰まで2カ月では、回復に時間が足りないのは明白だった。

 それでも棚橋は「G1に出たい。いや、優勝したい」と、G1の開幕に合わせるように駆け足での復帰を選んだ。G1を欠場する選択肢は棚橋にはなかった。エースのいないG1を棚橋が考えることはできなかった。

「ベルトがなくてもいい」は見得。

 G1に勝たなければ、その腰から離れていったまま戻って来ない、IWGPのベルトも見えてこない。

「ベルトがなくてもいい」というのは、対外的な見得であって、本当はほしいはずだ。「無冠の帝王」ならぬ「無冠のエース」なんて、自分の気持ちへの偽りだろう。今まで、どれだけ勝利とベルトにこだわるレスラーたちを見てきただろうか。時代は変わってもプロレスの原点が戦いなら、勝つことにこだわって当然だ。

 1年前の札幌G1開幕戦。棚橋は飯伏幸太とスリリングないい試合をして勝った。あの時、本人は試合後「ギリギリの崖っ淵」と表現したが、言葉とは裏腹に余裕のある順調な滑り出しだった。

【次ページ】 開幕3連敗で、強気の「大丈夫」も消えた。

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