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本田圭佑がホルンの指揮を託した男。
濱吉正則監督は、元名古屋の“本田番”。 

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西川結城

西川結城Yuki Nishikawa

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posted2016/07/22 18:00

本田圭佑がホルンの指揮を託した男。濱吉正則監督は、元名古屋の“本田番”。<Number Web> photograph by AFLO

プロのトップチームの監督は初めてとなる濱吉正則にとっても、欧州2部での戦いは大きなステップアップの契機となる。

本田との出会いは13年前、本田は高校生だった。

 今年4月、ホルンが監督交代に踏み切った際、日本人の中からすぐに後任候補に濱吉が挙がったその背景には、こうした事情も関係していた。

 もちろん、濱吉がホルンの監督に就任した理由はほかにもある。何を隠そう、本田との深い関係性である。

 本田と濱吉が初めて出会ったのは、今から13年前。当時名古屋のトップチームのコーチを務めていた濱吉は、練習参加していた高校生のプレーに目が釘付けとなった。

「すごい選手が来たなと思いました。星稜高校の先輩の豊田陽平(鳥栖)と一緒に練習に参加していて、2人の阿吽の呼吸で名古屋のレギュラーDFを崩す場面もありましたから。圭佑自身が持っているキックの技術、視野の広さ、ボールの運び方は当時から才能を感じた。だからその日のうちに契約書を用意したというのも、本当の話です。

 その後、彼が名古屋の冬のキャンプに参加した時に、僕がヨーロッパサッカーを好きなので彼が『何か、いいビデオないですか?』と聞いてきた。僕の部屋に来て、レアル・マドリーとジダンが好きだと言うので、プレーを見ながらサッカー談義に花を咲かせていました。彼が星稜に戻ってからも、『他にいい映像無いですか』みたいに連絡を取り合うことが続きました。

 そしてちょうど名古屋が正式に本田を獲得するという時に、担当スカウトが病気になってしまった。それで僕が彼と連絡を取っていたので、そのまま本田番のスカウトとして動くことになったのです」

ホルンの経営をはじめて、本田の頭には濱吉がいた。

 2人の邂逅は、それから十数年後に再び訪れた。

 本田は、実は以前からホルンの監督候補として、濱吉の存在が頭の中にあったという。昨年6月にクラブの経営権を取得した際、開幕まで残り約1カ月と迫る中で、監督選びや選手補強に思うような時間をかけることができなかった。いきなりやってきた日本人オーナーに対する地元のハレーションを最小限にするよう、指揮官もオーストリア人を招聘した。

 しかし、時間を追うごとに考えの相違が大きいことが判明していく。遅かれ早かれ、監督交代が必要な時期に備えて、本田は濱吉の招聘を視野に入れていたのだった。

【次ページ】 似たサッカー観を持つ者としての“共闘”。

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