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本田圭佑がホルンの指揮を託した男。
濱吉正則監督は、元名古屋の“本田番”。 

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西川結城

西川結城Yuki Nishikawa

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posted2016/07/22 18:00

本田圭佑がホルンの指揮を託した男。濱吉正則監督は、元名古屋の“本田番”。<Number Web> photograph by AFLO

プロのトップチームの監督は初めてとなる濱吉正則にとっても、欧州2部での戦いは大きなステップアップの契機となる。

似たサッカー観を持つ者としての“共闘”。

「最初に話をした時は、彼が展開するサッカースクールの育成部門を手伝って欲しいということでした。ただ、それ以外にも何か一緒にできればいいという話もしたりして、しばらくしてまた連絡があった。彼から『日本サッカーが世界のトップになるためには、どうすればいいですかね?』みたいな話をされて、そんなやり取りをしている時に突然、『ホルンの監督に興味ありませんか?』と聞かれました」

 選手としての才能に惚れ、コーチとしてアドバイスを日々施したかつての日々。時が経ち、日本のトッププレーヤーに成長した本田から投げかけられたのは、似たようなサッカー観を持つ者同士での“共闘”だった。

「本田圭佑が掲げる哲学を実現することに面白み」

 濱吉はJ各クラブでの指導を経験した後、静岡でサッカースクールを主宰しながら、高校サッカー部の指導者も務めていた。ホルン行きを決めれば、自分を頼りにしている生徒たちの指導から離れることを意味する。逡巡を重ねた結果、最後は自分の目標を選択し、オーストリアに渡った。

「かっこいい形でこっちに来たなんて思っていません。最終的には強引な決断だったかもしれませんが、生徒や親御さんにも直接話して理解して頂いた。何より、生徒たちにとって身近な存在の僕が、ヨーロッパでサッカーの挑戦をする。この事実は、彼らに将来的な夢を与えることになるんじゃないかとも考えた。だからオファーを受けた時は、うれしさとともに複雑な感情だったのも事実でした。

 僕がUEFAのライセンスを持っている事自体あまり知られていなかったですし、正直に言えば、かつて描いたヨーロッパで指導者になるという道は諦めかけていました。そう腹をくくっていた時に、今回の話が来ました。

 でも今は、日本人指導者を背負ってヨーロッパで戦うとか、そういう自分自身の成功への思いとか気概は、実はあまりない。それよりも、このホルンというクラブを指導したいからここに来た。本田圭佑が掲げる哲学を実現することに、面白みを感じたわけです。

 どういうわけかわかりませんが、今回声をかけてくれた。彼のことだから、そこには何か確信があってこそのオファーだったと思います。もちろん憧れたヨーロッパが舞台というのはやりがいではありますが、違うヨーロッパのクラブから話が来ていても、多分受けなかったと思います。日本での指導も覚悟を決めてやっていましたから。僕は、ホルンを強くしたい。ここの人たちと成功したい」

【次ページ】 7月22日、2部リーグが開幕する。

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