オリンピックへの道BACK NUMBER
リオの“隠れメダル候補”は競歩。
急成長の理由は基盤の薄さにあり?
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAFLO
posted2016/07/17 07:00
リオ五輪競歩代表に選出された(左から)松永大介、高橋英輝、谷井孝行、森岡紘一朗。メダルの期待がかかる4人だ。
'00年代以降のさまざまな取り組みが功を奏した。
競歩は1980年代、オリンピックへの派遣を見送ったこともある。当時からすると、状況は様変わりした。
個人が突出するならともかく、これだけ多くの選手が伸びてきたのは、競歩全体の強化策に理由があると考えられる。実際、2000年代以降の取り組みが功を奏した結果である。
以前も触れたことがあるが、1つには、現在、陸連で競歩部長を務める今村文男の存在がある。'91年の世界選手権で7位となり、日本初の入賞を果たすなど奮闘した今村は、'05年、イタリアに1年間滞在。競歩のトレーニング方法、育成環境のあり方など広く学んだ。それこそイタリア代表選手たちの練習内容やスケジュールなど細かに知った。その成果を日本に持ち帰り、生かしたのである。
また、競歩の強化への取り組みは、'01年に高校総体に採用するなどして普及の後押しをしたこともあげられるし、'04年から審判の技術向上を図ったこともあげられる。きっかけはその前年の世界選手権で日本の選手が次々に失格となったことにある。競歩は歩型などルールが厳しいが、大丈夫だと思って臨んでみたら、海外の審判の見方が異なっていたのである。見方を変えれば、海外事情を知る情報量も不足していたのが、当時の競歩だった。
日本代表合宿は年2回程度から5、6回に増加。
そこで、さまざまな面で、国際舞台で戦える環境を整えていった。
その流れの上で変化をもたらしたのは、ロンドン五輪後、日本代表合宿を年2回程度から5、6回程度に増やしたことにある。その中で、練習方法や知識を共有し、コーチや選手の所属チームが異なっても、互いにアドバイスができる環境を築いた。
競歩は、陸上の各種目の中でも、選手層が決して厚いわけではないし、指導者も多くはない。そのため、高校、大学と、専門的な指導をじっくり受けたり、他の選手と切磋琢磨する機会が少ない選手も決して珍しくはない。それを補う効果があった。