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モハメド・アリ、その数奇な人生。
不遜で、派手で、誰よりも魅力的。 

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渋谷淳

渋谷淳Jun Shibuya

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photograph byGetty Images

posted2016/06/16 07:00

モハメド・アリ、その数奇な人生。不遜で、派手で、誰よりも魅力的。<Number Web> photograph by Getty Images

5本の指を見せKOのラウンドを予告するモハメド・アリ。実際、この試合は5ラウンドでのKO勝利を収めた。

ベトナム戦争が泥沼化する中で、アリは英雄に。

 そして長い月日をかけ、国との法廷闘争で無罪を勝ち取り、リングに復帰する。泥沼化するベトナム戦争が世界のみならず、アメリカ国民からの大きな批判を受ける中、毅然と戦争に反対し、国家に勝利したアリはボクシングの枠を超えた英雄となった。

 一方、25歳から28歳にかけた3年7カ月のブランクは、スポーツ選手としては常識的に考えれば致命的だった。「ボクサーとしてのアリは終わった」。そう思われたところから、アリ伝説の第2章が幕を開ける。

 第2章で最も有名な2試合が“キンシャサの奇跡”と“スリラ・イン・マニラ”であろう。

 復帰後すぐジョー・フレージャーに挑戦して敗れたアリは、'74年にフレージャーから王座を奪ったジョージ・フォアマンに挑戦する。32歳になったアリはもはや「蝶のように舞い、蜂のように刺す」ことはできず、「象をも倒す」と表現された剛腕、フォアマンが賭け率7-1で有利と予想された。

 実際に試合が始まってみると、フォアマンがワンサイドで試合を進める。フォアマンの強打をガードの上から浴び続け、傷だらけになったアリだったが、8回フォアマンのスタミナ切れを待っていたかのように攻撃に転じ、右ストレートを一閃。その瞬間、キャンバスに転がっていたのはフォアマンだった。奇跡を起こしたアリが2度目の世界ヘビー級王座に就いた瞬間だった。

2度目の世界王座を9度防衛し、1981年に引退。

 マニラでの試合は'75年10月だった。スモーキン(人間機関車)フレージャーの猛攻に苦しめられたアリが後半に入ると打ち合いに転じ、試合は両者ともに激しくダメージを負う消耗戦に。15ラウンド開始前、名トレーナー・エディ・ファッチがフレージャーの耳元でささやいた。「息子よ、もう十分だ。だれ一人として、今日、君のなしたことを忘れはしない」。また一つアリ伝説が加わった。

 アリは2度目の世界王座をまたしても9度防衛し、'78年にレオン・スピンクスに敗れて王座陥落。'81年の試合を最後に引退した。

【次ページ】 虚実が入り混じった、稀代のボクサー。

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