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モハメド・アリ、その数奇な人生。
不遜で、派手で、誰よりも魅力的。 

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渋谷淳

渋谷淳Jun Shibuya

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posted2016/06/16 07:00

モハメド・アリ、その数奇な人生。不遜で、派手で、誰よりも魅力的。<Number Web> photograph by Getty Images

5本の指を見せKOのラウンドを予告するモハメド・アリ。実際、この試合は5ラウンドでのKO勝利を収めた。

ボクシングよりも過激な発言で注目を浴びた時期も。

 アリ以前のヘビー級のイメージというと、巨体を「のっし、のっし」とゆすらせて、パワフルなパンチを「ブンッ」と振り回す印象が強かった。アリは身長191センチ、体重100キロ弱という理想的な体格(現在のヘビー級では小さ目だが、当時は十分な大きさ)でありながら、ミドル級のような動きをしたという意味で斬新だった。

 そんなアリだが、キャリア初期はその華麗なボクシングよりも、際立った発言で注目を集めた。

 今では当たり前となっている「KO予告」のパフォーマンスを始めたのがアリだった。'62年、元世界王者のアーチー・ムーアを迎えた一戦で、予告通り4ラウンドKO勝ちを収めると、その名は全米に広まった(このときはまだクレイ)。

 自己演出に天才的な才能を有し、派手な言動が拍手喝采を浴びる一方で、「ホラ吹きクレイ」、「ルイビルの大口野郎」というありがたくないニックネームもちょうだいした。面白がる人々がいる一方で、注目を浴びたいがために、デカいことばかり口にしている青二才――という否定的な見方が根強くあった。

徴兵を拒否し、王座剥奪、ライセンス停止。

 そして'64年、いよいよ世界タイトルマッチを迎える。チャンピオンはアリが「醜い熊」と表現したソニー・リストン。掛け率は1-8でアリの不利だった。アリの言動に眉をひそめていた人たちは「リストンが生意気なアリをひねりつぶしてくれるだろう」と期待したのである。

 ところが─―。試合はふたを開けてみると、アリがジャブとフットワークでリストンを翻弄。

 7回、チャンピオンは肩の負傷を理由にコーナーから立ち上がらなかった。予想を覆して栄冠を手にしたアリが放った言葉が「アイ・アム・ザ・グレーイテスト!」。のちにアリの別称となる“ザ・グレーテスト”はこのときの言葉だった。

 この試合後、アリはムスリムに改宗したことを明かし、ここから世界ヘビー級王座を9度防衛する。

 そして'67年、アリは「ベトコンに恨みはない。やつらはオレをニガーと呼んだことはない」と言い放ち、ベトナム戦争の徴兵を拒否した。ベトナム戦争終結から40年以上たった今では、アリの発言は壮快な響きを持って受け入れられるが、当時は国家への反逆とみなされた。アリはヘビー級王座をはく奪され、プロボクサーのライセンスも停止された。ボクサーとして息の根を止められたのである。

【次ページ】 ベトナム戦争が泥沼化する中で、アリは英雄に。

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