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畠山健介が会社員からプロになるまで。
営業マン時代は「人見知りだった」!? 

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畠山健介

畠山健介Kensuke Hatakeyama

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photograph byKensuke Hatakeyama

posted2016/06/15 17:30

畠山健介が会社員からプロになるまで。営業マン時代は「人見知りだった」!?<Number Web> photograph by Kensuke Hatakeyama

数年前、サンゴリアスのチームメイトたちとの食事会。今も昔も、このチーム内での仲の良さは変わらない。

サンゴリアスの青木佑輔とは支店まで同じだった。

 僕の選択に間違いはなかった。

 短い間だったが清宮さんや慎さんに鍛えていただき、その後はエディー(・ジョーンズ/現イングランド代表監督)や(大久保)直弥さん(現NTTコムシャイニングアークスFWコーチ)が監督になるなど、常に良い環境でラグビーができた。サンゴリアスにいなかったら、今の僕はないと断言できる。

 サントリーの社員としての配属は、横浜支店だった。横浜支店には数名のサンゴリアスメンバーがいて、みんなで始業前に朝食を食べるのが当時のルーティンだった。

 現在、プロ選手としてサンゴリアスでプレーしているアオさん(青木佑輔)も、同じ横浜支店だった。早稲田大学の2つ上の先輩になるアオさんとは、大学の寮でも1年間同じ部屋だった。後輩としていろいろ可愛がってもらっていたので、同じ支店であることにとても安心した。

 歳が近いということもあって、曽我部(佳憲)さんやナリ(成田秀悦)さんと支店内でよく、“キャッキャ”しあっていたね(笑)。曽我部さんは大学の先輩、ナリさんは同じ東北出身という、それぞれの共通点があったので話題は絶えなかった。

今でも横浜支店時代の失敗談は盛り上がる。

 2人と支店は同じだったが、僕だけ違う課に配属された。同じ課にラグビー部員はおらず、頻繁に遠征や合宿、練習や試合で離席する僕の扱いに、先輩たちは相当困ったと思う。2年目になっても新人が同じ課に配属されなかったので、僕は最後まで下っ端のままだった。

 今でも横浜支店時代の話をすると、大いに盛り上がる。もっぱら失敗談が多い。会社からしてみれば、失敗やミスは極力減らして欲しいだろう。しかし僕らは、「こんなことあったよねー」と、同じ話で何度も盛り上がる。

 その当時の話をできる人が今は、サンゴリアスにはアオさんくらいしかいない。寂しいものだ。

【次ページ】 僕は人見知りで、お客さんには「話術」が出せず。

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