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畠山健介が会社員からプロになるまで。
営業マン時代は「人見知りだった」!?

posted2016/06/15 17:30

 
畠山健介が会社員からプロになるまで。営業マン時代は「人見知りだった」!?<Number Web> photograph by Kensuke Hatakeyama

数年前、サンゴリアスのチームメイトたちとの食事会。今も昔も、このチーム内での仲の良さは変わらない。

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畠山健介

畠山健介Kensuke Hatakeyama

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Kensuke Hatakeyama

 英国から帰国して早々、僕は本来の所属チームであるサントリーサンゴリアスのクラブハウスに向かった。

 サンゴリアスは昨シーズン、トップリーグ開幕以来で最も低い9位という不本意な結果に終わった。優勝を目標に掲げていたのに、優勝どころかベスト8に入れなかったのは本当に悔しかった。日本代表としてプレーすることはもちろん誇りに思っているが、サンゴリアスも、僕にとってはかけがえのない場所だ。

 ここで、サンゴリアスでの経歴と社員時代の話を少ししたいと思う。

 僕は今年でサンゴリアス在籍9年目になる。2008年度入社・入部で、同期は僕を含めて4人だった(外国人選手は除く)。PRとHOの両方をこなす慶応義塾大学出身の金井健雄(今シーズンから神戸製鋼に移籍)、金井と同じ慶応出身のFB小田龍司(現在社業に専念)、中央大学出身のWTB長友泰憲。小田は数年前に引退しているため、サンゴリアスに残る同期は、ヤス(長友泰憲)と僕の2人だけになった。

実は入社から2年間は営業としても働いていた。

 僕は現在サンゴリアスとプロ契約しているが、元々は社員としてサントリーに入社し、2年間は営業として働いていた。社員選手として社業とラグビーを両立させ、3年目からプロ選手となり、ラグビーに集中できる環境になった。今年でプロ7年目になる。

 僕が早稲田大学の学生だった頃、サントリーの他にトップリーグの数チームがスカウトに来ていただいた。親を説得するために、わざわざ地元・宮城県まで来てくれたチームもあったが、僕はサントリーに決めた。

 決めた要因の中で大きかったのは、同じ大学の先輩や、U19、U23(19歳、23歳以下の日本代表)で知り合った先輩が多かったので、楽しくラグビーができると思ったこと。清宮さん(克幸/現ヤマハ発動機ジュビロ監督)や長谷川慎さん(同FWコーチ)がいたので、選手として成長できると思った。

【次ページ】 サンゴリアスの青木佑輔とは支店まで同じだった。

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