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大宮のGKとして、古巣・浦和と戦う。
加藤順大「言えなかったお別れを」
posted2016/05/07 11:00
text by
轡田哲朗Tetsuro Kutsuwada
photograph by
J.LEAGUE PHOTOS
青空の下で、満面の笑みでサポーターにサインをしながらクラブハウスに戻ってくる姿は、トレーニングウェアに刻まれるエンブレムが変わっても同じだった。
浦和レッズから大宮アルディージャに昨季移籍した加藤順大にとって、プロサッカー選手として初めての経験となる古巣との対決『さいたまダービー』が5月8日に迫ってきた。
浦和と大宮は、古くから地域同士がライバル関係にある。それこそ、県庁所在地は浦和で、新幹線は大宮に止まり……と、その対抗意識は根強い。それがさいたま市に合併されたことで、同じ市のチーム同士になった。その距離感からも歴史的経緯からも、日本でも有数の“ダービーらしいダービー”だと言える。
「アルディージャに移籍が決まった時から、もちろんダービーを戦うことは目標でしたからね。J2からJ1に上げなくてはいけなかったんだけど、レッズとやりたいとは思っていたんで、いよいよかなと。昔から気が知れていて、普段は仲間で、今度は対戦相手。不思議な感じになると思いますね」
忘れられない2006年、埼スタデビュー戦。
加藤は2000年にユースチームへ加入して以来、14年間にわたって浦和レッズのユニフォームを身に着けていた。デビューは'06年のヤマザキナビスコカップグループリーグ第6節の横浜F・マリノス戦。「予選突破が決まっているのに4万3000人が入って、鳥肌ですよ。絶対にレッズでレギュラーを獲ってやると思った」と、ホームの埼玉スタジアムで4-2の勝利を収めた試合が忘れられない記憶だ。
浦和では、「移籍してきた選手は最初に順大と仲良くなる」といわれる兄貴分だった。'14年に大宮から移籍加入した青木拓矢は、プレシーズンに腎損傷の重傷を負い自宅療養を余儀なくされたが、「クラブの必要な書類をわざわざ家まで届けてくれたこともありますよ。本当に世話焼きというか、優しいですよね」と当時を懐かしんだ。誰からも信頼される人間性の持ち主で、選手会長も務めていた。
そんな加藤だが、実は大宮地区との縁が深かった。中学の途中からは大宮FCに所属し、浦和ユースでプレーしながら通っていたのは大宮東高校だった。そうしたこともあり、西川周作の加入から出場機会が減少していた'14年オフに下した移籍の決断に迷いはなかったという。