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IWGPジュニア王者KUSHIDAは、
なぜ“ナイフ”を研ぎ続けるのか? 

text by

井上崇宏

井上崇宏Takahiro Inoue

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photograph byEssei Hara

posted2016/05/02 10:30

IWGPジュニア王者KUSHIDAは、なぜ“ナイフ”を研ぎ続けるのか?<Number Web> photograph by Essei Hara

昨年は「ベスト・オブ・スーパー・ジュニア」を初制覇しているKUSHIDA。世界の次世代ジュニア界を牽引する。

世界最強プロレスラーの桜庭和志の練習相手として。

 東京・大田区の池上本門寺の近くで生まれ育ったKUSHIDAは、中学3年の時に運命的な出会いを果たす。

 自宅から自転車で5分という至近に高田道場という格闘技ジムがオープンしたのだ。高田道場は高田延彦が主宰するジムで、『PRIDE.1』での最初のヒクソン・グレイシー戦後の頃だった。グレイシーハンターとして人気絶頂を迎える直前の桜庭和志も所属していて、桜庭は当時、世界で一番強いプロレスラーだった。

 当時はいわゆるプロレス系の道場が一般にも開放されているというのは稀で、KUSHIDAは「これはもう行くしかないな」と決めて、即入会をした。

 高校では空手部に在籍していたが、高田道場での練習が最優先。一般会員の中に本気でプロレスラーを志していたのはKUSHIDAしかいなかったこと、そして桜庭の人の好き嫌いが激しい性格が幸いして、プロ選手を除くと、桜庭のスパーリング相手をほぼ独占した。伝説のホイス・グレイシー戦後、約1ヶ月のオーバーホールから明けてきた桜庭の最初のスパーリングの相手も務めた。

 だが、PRIDE全盛期のそんな環境に身を置いていても、KUSHIDAの夢はあくまでプロレスラーになることだった。総合格闘技に興味を惹かれることは一度もなかったし、桜庭のこともずっとプロレスラーとして見ていた。あいかわらず新日本の会場にも観戦に行っていた。しかし、「せっかく才能があるんだから」と先輩の勧めで総合格闘技イベントZSTに出場するようになる。

すべての経験、鍛錬はプロレスのために……。

 ZSTでは10戦近く闘って無敗を誇ったが、「俺がやりたいのはこれじゃない」とずっと思っていた。

 ジェネシスライト級トーナメントに出場したのも、メキシコにプロレス修行に行く旅費の捻出のためだった。まんまと優勝して賞金20万円を手にした。

「なんでメキシコに行こうとしてるの? これからPRIDE武士道っていうのも始まるんだよ?」

 桜庭からもそんなことを言われたが、結局、総合格闘技という当時の流行に乗ることはなかった。自分には新日本プロレスの入門規定を満たす身長と体重がない、だからメキシコに行くしかないんだと考えていた。

 だけど、先輩はどんどん格闘技の大会にブッキングしようとする。そんな動きに反抗して、試合直前まで道場には行かず、ひたすら多摩川を走り、スクワットをするという行動を取ったりもした。肉体は総合格闘技の技術を吸収しながらも、精神はプロレスラーになりたいという欲求が抑えきれなくなっていた。そしてついに大学を休学し、メキシコに飛んだ。

【次ページ】 中邑「あれ、どうしてこんなところにいるの?」

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