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野球人に最も愛されたスポーツライター、
永谷脩が球界に遺した足跡。
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph byNanae Suzuki
posted2016/04/13 17:10
「偲ぶ会」会場に設置された永谷氏の著書展示スペースにて。左から東尾修氏、江夏豊氏、山田久志氏、権藤博氏。
●永谷洋子氏(永谷脩氏夫人)
今日は開幕を控えた中、みなさま本当にお忙しい時間だと思います。その貴重なお時間を永谷のために割いていただき、これだけの方が集まってくださったのは、私たち家族にとって、本当に今まで永谷脩と暮らしていた中でのサプライズだと思います。
家では本当に何にもしないダメなおじさんで、娘たちにもうん、うん、といつも言われていたんですけれども、私たちの知っている永谷脩のほんの一部だったような気がします。あとのほとんどは、ここにいらっしゃるみなさまとのお付き合いの中で育まれて、そして出版社の方々、ラジオ局の方々、いろいろな方に支えられて永谷脩はスポーツライターの道を歩んできたのだと思います。
彼のことで私が一番印象に残った言葉としては、「俺はスポーツジャーナリストではない。スポーツライターだ」と、それをすごく家の中でも言っておりました。文章を書くのが本当に好きでした。資料を創るのも好きでした。家の中での彼の姿は、大きな大学ノートを広げ、新聞の山を切り、それをペーパーボンドで貼っていく。本当にアナログの作業を毎日しておりました。考えたら、今の世の中、まったく役に立たないですね。みなさんに見ていただこうと思っても、全然役には立たないんですけれども、彼にとっては命でした。ちょっとでもそれを踏んだり、新聞紙を踏んだりしたら、本当に怒られました。毎日毎日が彼の中では、物を書くことと、人と会うことと、それと人とのつながりを本当に大切にしていたんだと思います。
ここまで彼がスポーツライターをできたのは、今日お集まりの方々、また今日いらっしゃれなかった方々も含めて、永谷脩をここまでつなげていってくださったものと、本当に感謝しております。
最後に永谷脩と私が理想のことを考えていても、いつもいつも主人は仕事、仕事で家庭のことを考えるよりも、仕事の先のことを考えるほうが第一でした。振り返って一度も、彼と私たちの老後を考えたことはありません。どうするんだろうとか、どうしたらいいんだろうかも、1回も話しませんでした。3カ月の病院の中でもそのことは1回もありませんでした。ただひたすら、次は何を書こうかなと毎日毎日、言っておりました。もうひとつお恥ずかしい話ですけど、永谷脩は本当に財産も何も残さずに逝ってしまいましたけれども、今回、こういう本を作っていただいたこと、そしてこれだけの方が永谷を思って集まってくださったことが私たち家族にとって本当の財産だと思っています。みなさま本当にありがとうございました。感謝申し上げます。
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『永谷脩の仕事 ~プロ野球ベストセレクション 珠玉の53篇~』
王貞治、江夏豊、江川卓、落合博満、清原和博……超一流の野球人の懐に飛び込み、本音を引き出し、記事を紡いできた伝説のスポーツライター・永谷脩氏。Numberに1000本以上寄稿してきた記事の中から厳選に厳選を重ね、セレクトされた珠玉の53篇です。