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野球人に最も愛されたスポーツライター、
永谷脩が球界に遺した足跡。
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph byNanae Suzuki
posted2016/04/13 17:10
「偲ぶ会」会場に設置された永谷氏の著書展示スペースにて。左から東尾修氏、江夏豊氏、山田久志氏、権藤博氏。
●東尾修氏(野球評論家)
1998年のことです。まさか権藤さんの横浜ベイスターズと日本シリーズを戦うことになるとは、思いもしませんでした。それは永谷さんが一番願っていたというか、取材対象として一番いろいろ書けるんじゃないかなという、永谷さんの気持ちが通じたのかなという意味で、実現できてよかったと思います。
普通、日本シリーズの前は監督会議やらいろんなことがあるんですけど、権藤さんと2人で選手全員集めて前夜祭しようという話をしました。前の日はさすがに難しいから、試合の前々日に両チームの監督、コーチ、選手、フロントや裏方も含めて、食事会しながら正々堂々と戦おうじゃないかという話を、永谷さんが仕掛けまして。権藤さんも私もこういう性格ですので、3人の間では合意していました。ただ今まで前例がないことで、実現しなかったんですけど、でも権藤さんと私と永谷さんと食事会だけはしました。権藤さんと永谷さんと、日本シリーズの前々日に何を話したのか? 多分野球のことは話さなかったと思うんですけれども、過去の楽しいことをうんと話したということを、権藤さんが話されたあとだから、余計に思い出します。
そのときは権藤さんの勢いに西武ライオンズは負けましたけれども、日本シリーズに負けた代わりに、ドラフトのくじは私が先になったものですから、横浜に行きたい、行きたいと言っていた(松坂)大輔を私が先に引き当てた。終わったあとに、「権藤さん、どっちが良かったんですかね」って。でも、大輔が来てから(東尾監督時代の西武は)優勝できなくなったんですよ、正直なところ(笑)。
日本シリーズのあとのドラフトの会議のことも非常によい思い出となっていますし、そのことでは永谷さんもいろんなところで記事にされたと思いますが、一番私の印象の中では日本シリーズの前々夜祭が楽しかったなというのを思い出します。
ありがとうございました。
●王貞治氏(福岡ソフトバンクホークス取締役会長)
※球団行事と重なったためビデオ出演
みんなに愛された永谷さんのお別れの会ということで、出席してみなさんと永谷さんの思い出話をしたいと思っていたのですが、球団行事でどうしても仙台からこういう形でみなさんにご挨拶になりましたことをお許しください。
永谷さんは本当にいつもニコニコして、キャンプ、球場、どこからとなく現れてきて。
もちろん私の現役当時、ジャイアンツ時代から、またユニフォームを脱いだときも、またホークスへ入って九州に来たときも、本当にいろいろとお世話になりました。当時はファンと選手の距離が今よりもありました。永谷さんは、その間をうまくつないでくれて、少年たちの、また大人たちの野球に対する思いをより大きなものにしてくれました。
そんな永谷さんの、あのニコニコした顔が見られなくて、今日こういう形でお話しするということは、こんな寂しいことはありません。みんなに愛された永谷さん、野球を本当に好きだった永谷さん。みんなわれわれの心に焼き付いています。
われわれとしては野球に対する思いを大事にするとともに、永谷さんの思いを引き継いで、もっともっと素晴らしい野球界、また野球の楽しさを多くの人にわかってもらうという、永谷さんがまだまだやりたかったことを、われわれは引き継いでやっていかなきゃいけないなと強く思っています。ご出席の方もみんな同じ思いだと思います。
奥様、どうぞお体に気をつけて、さびしいと思いますけど、こうやってみんなついています。その分も長生きして頑張っていただけるように。永谷さん、われわれを見守っていてください。