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野球人に最も愛されたスポーツライター、
永谷脩が球界に遺した足跡。 

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photograph byNanae Suzuki

posted2016/04/13 17:10

野球人に最も愛されたスポーツライター、永谷脩が球界に遺した足跡。<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

「偲ぶ会」会場に設置された永谷氏の著書展示スペースにて。左から東尾修氏、江夏豊氏、山田久志氏、権藤博氏。

●山田久志氏(野球評論家)

 みなさん、こんばんは。山田でございます。この偲ぶ会に出てきて永谷さんとの思い出話をしてくれよ、ということで駆けつけてまいりました。永谷さんとは40年近く前からのお付き合いになるわけですけれども、「ホテル山田は今日は空いているか」ということで、常に私の家に泊まっていただいて、野球の話やらいろんな話をさせていただいたことが数多くありました。仕事を抜きにした付き合いの方が私は多かっただろうと思っています。

 今日、神戸から駆けつけてまいりましたけれども、新幹線の中で「永谷さんというのはどういう人だったのだろう」と、ずーっと考えながら来たわけです。思えば彼とは、晴天の友となるなかれ、ということがすべてじゃないかと。いいときの友達ということでは、あまりその場にはいなかったような気がするし、辛かったり苦しかったりしたときに常に側にいて寄り添ってくれているということを私も感じていました。

 というのは、阪急が(日本シリーズで)優勝したあとに退団を考えていたとき、そして私が現役を引退したときに常に側にいた。極めつけはですね、私がドラゴンズの監督を解任されたときに、実はまっさきに名古屋に来てくれまして。そして何と私を九州一周の旅に連れ出してくれました。旅先でどんちゃん騒ぎをしてわいわいやったのですが、振り返ってみればあの騒いだ金、誰が払ったのかなと。私は全く払った記憶がないんですけれども、あのときおそらく永谷さんが全部面倒をみてくれたんじゃないかなと思っています。

 みなさんも永谷さんのことを考えたときに、そういうことが思い浮かぶんじゃないでしょうか。私はやはり永谷さんというのはそういう人だったんだろうと思います。 

 今日、会場に顔を出しまして、こうしてみなさんを拝見しまして、何十年ぶりに会う人とか、しばらくぶりという人がほとんどです。永谷さんがこうして会わせてくれたんだと思いながら、会場でひとときを過ごしております。奥様の洋子さん、家族のみなさん、また健康に過ごされて、ますます元気で過ごされることを祈念いたします。ありがとうございました。

●江夏豊氏(野球評論家)

 永谷さんという人とはかなり古い付き合いです。まさかまさか彼の偲ぶ会に出席するとは夢にも思わなかったです。本当に彼のことをしゃべり出すと、もう10分、15分じゃ全然足りません。一晩中でもしゃべれるくらいのお付き合いをさせてもらいました。

 おととし、6月12日に天国に逝って、本当にさみしい思いをしました。私がいろいろ言うよりは、彼とお付き合いさせてもらい、そして彼の家庭に招待してもらい、美味しい手料理をいただいた日が本当に懐かしいです。そのときに一生懸命手料理を作ってくださった洋子さんも今じゃ、未亡人ですね。洋子さん、そしてお嬢様が今日、見えておられます。この壇上に上がってもらっていいですか。(拍手)では、よろしく。僕はもうしゃべるのは終わりだから、洋子さん、あとはよろしくお願いします。

【次ページ】 ●永谷洋子氏(永谷脩氏夫人)

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