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闘莉王が日本復帰を約束した理由。
岡田武史、岡野雅行、日本との絆。
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2016/02/17 10:40
J通算430試合85得点。カップ戦を加えれば500試合を優に超える。この数字が再び増えることはあるのだろうか。
「もう一度、違いを見せられる選手になって日本に」
ただし、今回の決断にはその先がある。もう一度日本でプレーするということだ。
「日本に来てからの18年はあっという間だった。人生の半分以上を日本で過ごしてきた。渋谷幕張高校、広島、水戸、浦和、名古屋でプレーして、その間に日本国籍も取得したし、多くの日本の皆さんに応援してもらえた。
今回、こういう形で名古屋を去ることになったけど、これでは幻の退団みたいになって、自分らしくない。自分が今までやってきたこと、歩んできた道を中途半端に終わらせることはしたくない。もう一度、違いを見せられる選手になって日本に帰ってこられるように、そのためにブラジルに戻って、1年間修行してくる。これが本当の気持ちです。こうして話すことで、この気持ちを思い切ってぶつけてみたいと思ったのです」
浦和レッズ時代の盟友でもある鳥取の岡野雅行GMとは2月上旬に直接会い、丁重に断りを入れた。岡野GMは昨年12月に続き、2月にも名古屋に足を運んでくれた。
「鳥取からのオファーは本当にうれしかったし、岡野さんと会って話をして、熱い気持ちが凄く伝わってきた。残念ながら今年はブラジルでプレーすることに気持ちを固めたので、今の時点では鳥取には行けない。いつかタイミングが合えば力になりたいと思います、ということを伝えた」
岡田武史に言われた「辞めちゃダメだよ」。
日本を発つ2日前には、南アフリカW杯で指揮を執った岡田武史元日本代表監督(現FC今治オーナー)から「サッカー、辞めるのか?」と電話が掛かってきた。
「いいえ、やりますよ!」と返答すると、「それは良かった、辞めちゃダメだよ」と言われた。闘莉王は岡田氏からの直接連絡に、うれしさで胸がいっぱいになった。
岡田ジャパンの主力として'10年南アフリカW杯に向かって突き進んでいた'09年末。浦和レッズを退団することになり、移籍先について逡巡していたときに相談したのが岡田氏だった。
「あのときは岡田さんに『W杯があるから海外移籍はやめた方が良い』と言われて名古屋への移籍を決めた。それが良かった。胸を張って『闘った』と言えるくらいのW杯になったと思っている」
周知の通り、南アフリカW杯では日本はベスト16に入った。