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<独占インタビュー> イビチャ・オシムから日本へのメッセージ。~Rewrite the Rule~
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph byTakuya Sugiyama
posted2016/01/13 11:00
メッシとロナウドは何が違うのか?
―― 一旦、話題を日本から現在の欧州に変えましょう。ビッグクラブであるバルセロナとレアル・マドリーには、メッシとクリスティアーノ・ロナウドという2人の突出したプレイヤーがいます。2人の違いはどこにあると思いますか。
「ロナウドには申し訳ないが、私はメッシを推す。彼らは2つの違うタイプだ。ロナウドは美しく、大きく、スピードがあり、瞬間的な加速力も抜群だ。つまりフィジカルの選手だ。メッシはより芸術的でアイディアに富んでいる。より天才的だと言ってもよい。ロナウドがほとんどの問題をフィジカル能力で解決するのに対して、メッシの場合は解決策が彼の頭から生まれている」
――メッシはより知性的ということでしょうか。
「メッシは共にプレーする選手たちに微笑みをもたらす。彼の素晴らしいアイディアの数々を活かし、思い通りにプレーするには、彼を理解する選手たちが必要だ。メッシのクオリティを活かすには、知性のあるチームでなければならない。チームメイトがメッシを理解し、メッシもチームメイトを理解する。バルセロナのほぼすべての選手は、メッシのアイディアを実現するための能力を必要としている。メッシはコレクティビズムの申し子だ。彼のプレーそのものは個人的だが、同時にチームのために自分自身を犠牲にしているとも言える。チームのために働く姿は私の好みだし、そこに彼の価値があると思う」
――今度は日本のトップ選手が集結する代表チームについて。当時監督だったあなたと選手のコミュニケーションについておうかがいします。あなたは選手たちにメッセージを伝える手段として、メディアの前であえて辛辣な発言をされていたように思います。それは意図的だったのでしょうか。
「確かに、中村俊輔や遠藤保仁には、あえて厳しい発言をしたこともある。だが、すべての選手に同じやり方ができるわけではない。誰とうまくコンタクトをとるのか。誰が監督をよく理解するのかを見極めなければならない。選手の側もそれは同じだ。そこでお互いが容認しなければ、コミュニケーションはとても難しいものになる」
――監督には威厳というものが必要なのでしょうか。
「選手が監督の真似をし出したら、それは危険な兆候だ。練習などで選手が監督の訛りやアクセントを揶揄するようになったら、監督の威厳はすでに損なわれていることになるし、言葉が伝わらなくなってしまう。威厳は保ち続けるべきだし、選手への態度を変えるべきかもしれない。選手を罰してはならないが、距離を保って関係をはっきりさせることは必要だ。だが、権威的であってもならない。私なら、選手と親密なコンタクトをとることを試みるだろう。選手の個人的な問題や家族との関係を知るためにも、時に彼らとの距離を縮めていく。監督が選手の私生活や子供のことに関心を抱いていると選手が理解すれば、仕事はとてもやりやすくなる」