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絶滅危惧種の魔球に居場所はあるか。
大家友和とナックル、最後の挑戦。
text by
ナガオ勝司Katsushi Nagao
photograph byKatsushi Nagao
posted2015/11/03 10:30
現在39歳だが、大家友和の向上心は全く衰えていない。日本プロ野球でその姿を再び見ることはできるだろうか。
何を投げても、バッターをアウトにできればいい。
日本球界復帰は2010年。愛着のある古巣横浜に戻って7勝を挙げたものの、右肩の怪我が劇的に良くなることはなく、2011年のオフに手術に踏み切り、日本プロ野球から姿を消した。
そんな大家がナックルボーラーとして、復活したのは2013年のことだった。
「最初はそんなに大げさなもんじゃなく、ちょっと投げてみよかな? って感じだったんですけどね」
いつだったか、大家はそう言った。「みよか?」という関西弁が何とも軽妙に聞こえる。もちろん、彼は大真面目だった。
「一番大きかった理由は、肩を傷めたこと。手術をした後、どんなに力入れても球速が出なくなった。そういう状態で『どうやってバッターをアウトに取ったらいいのかな?』と考えたら、ナックルボールになったんです」
それは大家らしい考え方だった。彼はまだ“普通の上手投げ”として活躍していた頃、こう言ったことがある。
「明日、突然横から投げたっていいいし、下から投げたっていいんですよ。ナックルボールを投げたっていい。なぜなら、僕らピッチャーの目的はバッターをアウトに取ることですから。もちろん、速い球を投げたり、いつでも狙ったところに投げられたら言うことはないけど、それは目的じゃない。僕らピッチャーの目的は、どんな手を使ってでもバッターをアウトに取ることなんです」
ナックル専門コーチを訪ねて突然の渡米。
大家は2012年、浪人生活を送りながらナックルボールを試投し始めた。彼にチャンスを与えたのは日本のプロ野球ではなく、BC独立リーグ富山サンダーバーズだった。2013年、ナックルボーラーとして現役復帰した彼は7勝7敗、防御率3.73の成績を残す。
手応えを掴んでシーズンを終えた大家はその冬、突然渡米した。米国にナックルボール専門のコーチがいると聞いたからだ。
「新しい技術とかは何も習わなかったけれど、結果的に今まで自分がやって来たことが間違いなかったという確認みたいなものにはなった」
とは言うものの、現地では大リーグ傘下の教育リーグの練習に招かれ、複数球団の有望新人を相手にナックルボールを投げた。結果は上々。その事実は翌年のブルージェイズとのマイナー契約に繋がった。