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「最初のジャパンカップを覚えている」
武豊が語った“世界と日本競馬”。
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph byTakuya Sugiyama
posted2015/10/22 16:00
武豊が最初に世界を夢見たのは中学生の頃だったという。
海外志向の根っこにある原体験。
「最初のジャパンカップも覚えています。(出走馬に騎乗した)キャッシュ・アスムッセンやウィリアム・シューメーカー、スティーブ・コーゼンなどは僕にとってアイドルのような存在でした」
当時、豊少年は12歳。まだ父・邦彦が現役の騎手だった時期だから、競馬の世界は普通の子供に比べて圧倒的に近くにあった。しかし、はじめて目にしたジャパンカップと、世界の一流ジョッキーの騎乗ぶりをここまで克明に覚えているのは、それが武の海外志向の根っこにある原体験だったからだろう(ちなみにこのレースを観客席で見ていた少年がもう一人、日本を代表する騎手の一人となっているのだが、それは雑誌を読んでみてのお楽しみ)。
なぜ条件の良くない海外で騎乗し続けるのか?
武に話を聞いていく中で印象的だったのが、その“変わらなさ”だった。
「なぜ条件の良くない海外で騎乗し続けるのか?」と尋ねると、こんな答えが返って来た。
「単純に、面白いから、かな。競馬は世界中でやっていて、そのフィールドが『日本』か、『日本以外』かというだけ」
押しも押されもしないトップジョッキーになったいまでもなお、12歳の時と同じ『競馬の面白さ』を求め続ける姿勢に、その強さの一端を垣間見た気がした。
2時間にわたるインタビューの中では、そんな最初に世界を夢見た瞬間の思い出から、海外を舞台に戦って来た経験、凱旋門賞への想いまで、話題は次々と広がって行った。
「いつの間にか、日本の馬がメチャメチャ強くなっていた――」
そうはにかんで日本競馬界のレジェンドが語ってくれた、世界へ挑むロマンと日本馬の進化。
その内容は驚きに満ちたものだった。インタビュー全文は発売中のNumber888号でお読みください。
そうはにかんで日本競馬界のレジェンドが語ってくれた、世界へ挑むロマンと日本馬の進化。
その内容は驚きに満ちたものだった。インタビュー全文は発売中のNumber888号でお読みください。