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「最初のジャパンカップを覚えている」
武豊が語った“世界と日本競馬”。

posted2015/10/22 16:00

 
「最初のジャパンカップを覚えている」武豊が語った“世界と日本競馬”。<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

武豊が最初に世界を夢見たのは中学生の頃だったという。

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Takuya Sugiyama

 10月3日、阪神競馬場で行われたシリウスステークス(GIII)。アウォーディーに騎乗して優勝した武豊騎手は、JRA史上初となる重賞300勝という金字塔を打ち立てた。

「自分はまだまだ届かない数字。この記録は破られないと思う」(福永祐一騎手)

「ユタカさんは天才。だからこの300勝も偶然ではなく、必然」(M・デムーロ騎手)

「凄い。この一言につきる」(四位洋文騎手)

 ライバル騎手たちの祝福のコメントを見ても、いかにこの数字が驚異的なものかが伝わってくる。2010年には落馬による鎖骨などの骨折で戦列を離れたが、約4カ月で復帰。'13年の11月には史上初のGI100勝も達成するなど、競馬界に名を刻み続けている。

 武は1987年に騎手デビューして以来、国内の数々の記録を塗り替え続けて来た。その一方で、日本というフィールドを飛び出し、世界を舞台に戦い続けて来た日本人騎手の第一人者でもある。

ジャパンカップ第1回の日本馬完敗から34年。

 日本競馬が世界と向き合う大きなきっかけのひとつとなったのが、1981年に「日本競馬が世界に通用するレベルになる」ことを目標に創設されたジャパンカップだろう。

 その第1回大会、アメリカの牝馬・メアジードーツの優勝は、日本競馬界に大きな衝撃を与えた。レースの10日ほど前に来日した、本調子ですらない牝馬に、日本のエース馬たちが簡単に敗れ去ったからだ。日本馬の最上位は5着という、まさに「完敗」といって良い内容だった。

 それから34年の月日が流れた。いまでは日本馬がホームの日本で外国産馬に勝つのは「当たり前」という時代になってきている。だが、そこに至るまでの道のりは決して平坦なものではなかった。武をはじめ、多くの関係者たちの努力が実を結んだ結果だと言える。

 Number888号ではその武豊騎手に、NumberWebの連載記事「沸騰! 日本サラブ列島」でもおなじみの島田明宏さんを聞き手に、「世界と日本競馬」をテーマに話を聞かせてもらった。秋晴れの好天の中、JRAの栗東トレーニングセンター内で行われたインタビュー。

「30年近く騎手をやっているけど、競馬はまだまだ奥が深いし、飽きないですよ。本当に競馬って面白いと思います」

 武騎手はそう笑うと、実に自然体のまま、自身の騎手経験を振り返ってくれた。

【次ページ】 海外志向の根っこにある原体験。

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