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日本GPでハミルトンとアロンソに明暗。
セナと並ぶ勝利数と“GP2”の屈辱。
posted2015/09/28 11:40
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph by
Getty Images
少年時代、アイルトン・セナをヒーローとした2人のドライバーが、セナが愛した鈴鹿で、ひとりは歓喜し、もうひとりは激昂した。ハミルトンとアロンソである。
イタリアGPで通算勝利数を40勝の大台に乗せたハミルトン。セナが持つ歴代4位となる「41勝」という記録に王手をかけて、鈴鹿を訪れていた。しかし、ハミルトンにとって、鈴鹿で開催されてきた日本GPは、これまであまり相性がいいグランプリではなかった。
初めての鈴鹿となった2009年はトヨタのトゥルーリとの一騎打ちに敗れて3位にとどまり、2010年はフリー走行でクラッシュ。2011年はチームメートのバトンに優勝をさらわれてしまう。2012年は予選でアタック中に他車がスピンしてイエローフラッグが振られて、9番手からのスタートを余儀なくされて5位に終わった。
メルセデスAMGに移籍した2013年は予選3番手から好スタートを決めたものの、1コーナーでベッテルと接触してリアタイヤをパンク。6年目にして初めて鈴鹿を制した昨年はしかし、ビアンキのクラッシュによって表彰台で喜びを爆発させることはできなかった。
セナに学んだハミルトンが、粘り強い走りで勝利。
「なぜかはわからないが、鈴鹿ではいつも苦しい戦いを強いられるんだ」と言うハミルトンは、今年も鈴鹿でポールポジションを逃してしまう。さらにスタート直後にトップに立った決勝レースでも、1回目のピットストップで履き替えたタイヤに、ブレーキをロックさせてフラットスポットを作ってしまう。タイヤからのバイブレーションに悩まされたハミルトンは、予定を変更して2度目のピットストップを行わなければならなかった。
さらにレース後半は、パワーユニットの温度が想定よりも高くなり、ペースをコントロールしなければならなくなった。それでも、「ここでアイルトンが勝ったレースを何度も見たよ」というハミルトンは、粘り強い走りを披露して降りかかる困難を克服。2周目以降、一度もトップの座を譲ることなく、チェッカーフラッグを受けた。
「いずれアイルトンの記録に並ぶとはわかっていたけれど、実際に彼の勝利に並んだ瞬間は、うれしくて……。その気持ちはうまく言葉にできない。まるで夢のようだ」