錦織圭、頂への挑戦BACK NUMBER
錦織圭のライバルは誰になるのか?
“ポスト・ビッグ4”世代を考える。
text by
山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph byHiromasa Mano
posted2015/08/24 16:05
2012年、ウィンブルドン選手権の3回戦で対戦したデルポトロ。この時も錦織は3-6、6-7、1-6で敗れていた。
ライバル本命はラオニッチ? ディミトロフ?
昨年の楽天オープンではこんな話をしていた。
「ライバルがいるというのは僕にとって刺激になる。ライバルである以上、なかなか仲良くというのはできないですけど、お互いに切磋琢磨して、若い人たちでテニス界を盛り上げていけたらと思います」
これは、ラオニッチともう1人、グリゴール・ディミトロフを〈ライバル〉のカテゴリーに入れての言及だった。
ディミトロフは最近〈シャラポワの恋人〉という肩書きが目立ったが、10代の頃からそのプレースタイルやセンスの良さから〈ベイビー・フェデラー〉と呼ばれて注目され、昨年のウィンブルドンではラオニッチとともにベスト4入りした24歳だ。
錦織よりも2歳年下。
このディミトロフにいたっては2回しか対戦しておらず、いずれも錦織がストレートで勝っている。ライバルと呼ぶにはほど遠い関係だ。
ちなみに錦織との対戦回数がもっとも多いのはフェレールなのだが、33歳のフェレールはライバルというには年齢が離れすぎている。
理想的だった、デルポトロと錦織のライバル関係。
18歳だった錦織が全米オープンでベスト16に入って脚光を浴びたとき、敗れた相手は一つ年上のファンマルティン・デルポトロだった。
身長198cmのパワーヒッターは、将来トップを目指す錦織の前にいつも、いつまでも立ちはだかる最大のライバルになるのだろうと、身構えるような思いで3-6、4-6、3-6のストレート負けを見つめた覚えがある。巨体に似合わぬやさしげな雰囲気と、洗練されたスポーツマンシップを持つ選手だったから、錦織とのライバル関係はきっとファンに愛されるものになるに違いないとまで考えていた。
しかし20歳で全米オープンを制したデルポトロの輝かしいキャリアは、度重なるケガに荒らされ――今やランキングは500位台だ。錦織との対戦は2012年のロンドン・オリンピックが最後で、結局錦織は4度の対戦で1セットも取ることができないままだった。